+羽の空+
夜明けの空は昇ってくる半分の太陽の暖かさが混じり、雲は天使の羽のようにしなやかに柔らかく広がっていた。
パステルよりもまだ曖昧なカラーを佇ませた窓の外に、スネークは断ち切るように煙草の煙を立たせた。
窓の下は壮大な空とは違い、いくつもの建物が煉瓦の道路の上にドミノのように並んでいる。
その中で一際目をひく建物がある。
堅固だが高レベルの建築術で作られた複雑なバロック調の巨大な大聖堂。
ずんと2本の大きな塔の間にやや低く平たい塔があり、その正面には大きなステンドガラス、その下には細かい彫刻のなされた大正面門がある。
さらのその周囲をぐるりと囲むように噴水や庭園、いくつもの彫刻が立ち並び、大聖堂を城や宮殿のように彩っていた。
スネークは今日からの勤務地を見つめ、静かにその方向に煙草の煙を吐く。
ひげを擦り、溜息を含んだ煙は雲に達することなく霧散していった。
「あなたがスネークですか?」
正午、スネークは大聖堂の中の一角に来ていた。
その場所からは大聖堂の礼拝堂が窓越しによく見え、中で祈りを捧げる人々がちらちらと映る。
スネークは特に神を信じているわけではなかったら祈りは捧げず、まっすぐに依頼者の元に向かった。
依頼者はこの大聖堂の管理者であり、法皇と呼ばれる女性であった。
豊かな深緑の髪を流し、神々しいオーラを放っているような人。
温和で優しい眼をした法王はスネークを見上げていた。
美人だと思いつつもどこか人間離れした清純な法王に目をそむけ、スネークは短く答えると、さっそく仕事の話に移った。
「電話では護衛の仕事で間違いは?」
「ありません。護衛していただきたいのはあの子です」
法王はそっと窓の奥、礼拝堂に母性にあふれた瞳を向ける。
ちょうど昼時だからか人は途絶え、一人の少年だけが目を瞑り、祈り続けていた。
年の頃なら十代半ばぐらいだろう、水桃のような肌に紅茶色の髪の毛をしている。
来ている制服から見て、法王直属の神学校の生徒なのだろう。
将来、牧師や司祭、果ては次期法王が選出される、品なく言えば超エリート学生。
苛烈な先争いなど知らないかのように、少年は一心に祈りをささげていた。
「ただの学生のように見えるが」
「あの子は将来使徒になります」
スネークは一瞬言葉を失った。
使徒と言えば法王の補佐に当たり、次代法王もその中に選ばれる。
「法王、まさか・・・」
「私は、あの子を次の法王にするつもりです」
深い池のように静かだった瞳に、炎が揺らぐのが見えた。
「そんな一存で決めたら周りの奴らが黙っちゃいない」
「分かっています、そのことで現にあの子にも危機が及ぼうとしています」
「それでも、法王に?」
「あの子は神に選ばれた子どもなのです」
神に選ばれた子ども。スネークはその言葉にひっかかりを覚えた。
少年のプロフィールはあらかじめ自主的に調べておいた。
その内容だけに、神に選ばれたとは思い難かった。
「もう時間なので私は行きます、それでは護衛をよろしくお願いします」
「法王、最後にひとつだけ」
「なんでしょう?」
「あの少年はなぜ『虐待』を受けていたんだ?」
さっと法王の顔色が変わる。
先ほどの言葉も含め、プロフィールを見た上でどうしても気がかりだったのだ。
「後に話します、ですがそのことは絶対にあの子に訊かないでやってください」
法王の顔から僅かに滲む女の顔が、食い下がろうとするスネークを押しとどめた。
法王が去った後、スネークは礼拝堂に足を進めた。
大きな礼拝堂はステンドガラスに覆われ、高すぎる天井は有名な芸術家の描いた神々の図が一面に広がっている。
左右に横長い椅子がいくつも並べてあり、中央に開けられた道の奥にはゴッド・シンボルが爛々と輝いていた。
そのすぐ横のパイプオルガンの傍に、先ほどの少年は佇んでいた。
スネークに気づくと視線を泳がせたあと、自ら近づいてきた。
「ピット・・・だな?」
「あ、はい!ええと、スネークさんですよね?」
「そうだ。これから君のボディガードとして働かせてもらう。よろしくな」
「はい!よろしくお願いします!」
澄んだ青い瞳をきらめかせ、無邪気に笑う。
こんな子どもが、過去に虐待を受けて、将来は法王になるなんて―――。
世の中の正しさなど、どこかに飛んでいったなとスネークはピットに悟られないよう自嘲した。
大聖堂から少し歩いた神学校のさらに先に、何軒か飲食店がある。
神学校に通う子の親や礼拝者が主に使用する店だ。
スネークとピットはその内の一軒の外のテラスで昼食を共にした。
昼食を共にしながら、他愛のない話で場を持たせる。
そこでスネークはピットが想像以上に籠の中の鳥だと知った。
ピットが言うには、親の記憶はほとんどなく、気がついたら現法王の身内として育てられていたらしい。
それ以来この大聖堂を囲む庭園より外へ行ったことがないと、けろりとして言った。
外が気にならないのか、とスネークが訊いても、ピットはふるふると首を横に振るだけ。
外のことは法王や側近が伝えてくるとこと、あとは授業で習うことしか知らないと答えた。
今まであちこちを飛び歩いたスネークとしては、信じられない環境だと感じた。
食後にピットはミルク、スネークはコーヒーをすすりながらピットの将来を話した。
「ピットは将来どうするつもりだ?」
「決まっています、法王の手助けをできる位に就くことです」
「自分が法王になる気はないのか?」
「それは・・・・」
ピットは解けない数学の問題を前にしたかのように、子供ながらも難しい顔になる。
「僕は・・・法王のお傍にいられれば、それでいいんです。それが、いいんです」
「そうか」
目を伏せたピットの頭をぽんぽんと撫でる。
ピットは嫌がる素振りもなく、静かに微笑していた。
「スネークさん、僕は法王のお手伝いができるぐらい、偉くなれるでしょうか」
「なれるさ、ピットが嫌だと言っても・・・」
そこまで言いかけて突然スネークはピットを抱え込んで床へ転がった。
勢いでテーブルが倒れ、その上をパシュっという音と共に針のようなものが数本、撃ち込まれる。
スネークは針の飛んできた方向に麻酔銃を数発、テーブルを盾にするようにして反撃に出たが手ごたえはなかった。
「ピット、無事か!?」
「は、はい・・・・」
驚きを隠せないピットが目をぱちくりさせながら答える。
スネークはテーブルの影に隠れるように身を起こし、壁に突き刺さった太い針を見た。
位置から考えて狙われたのはピットだ。
銃じゃなくこんな特殊武器を使う辺り、素人の仕業ではないなとスネークは重い溜息を吐いた。
昼間の天気から一変して、夜になると雲がじわじわと押し寄せ、月や星を隠してしまっていた。
ピットは一人、ランプの明かりを片頬に受けながら自室で日記を書いている。
今日あったことを、簡潔にまとめようとしているが、いつものように短くはいかなかった。
だって、今日はボディガードができたから。
ピットはまるで新しい家族ができたかのように、どこか心躍らせていた。
とっても変わった人だけれど、とっても面白い。
自分の知らないことを、たくさん知っている。
今彼は別の部屋に宛がわれて、休んでいるだろうか。
昼間に飛びかかられた時は驚いてしまったけど、訳がわからない内にその場から連れ出されてしまった。
どうしたのですか、と訊けば僕ですら知らなかった僕の現状を、話してくれた。
他の人が僕に分らないよう隠していたこと。僕が狙われているってこと。
昼間、人目につかない所で息を切らしながらそのことを話した。
『ピット、恐いか?』
『っ今まで、わかりませんでした。そんなこと・・・』
『それは周りの大人たちがピットのことを思ってちゃんと言わなかったからだ』
『スネークさん、僕、どうしたらいいんでしょうか?』
『ピットは身を守ることを一番に考えてたらいい。あと、神頼みはいらん』
『なぜですか?僕が悪いから狙われるんじゃないんですか?』
『狙われるのはピットが将来を有望されているからだ』
『あの・・・それを・・・妬んでのことなんですか?・・・さっきの騒ぎは・・・』
『そうだ。ピット、お前を守るのは神様じゃなくて俺だ。だから必要以上に恐がらなくていい』
その言葉を聞いた時、とても安心できた。
神頼みはいらないと言われたけれど、寝る前にそっと部屋のゴッド・シンボルに祈った。
『スネークさんが、ずっと傍にいてくれますように』
明日は何の事を話そう。
ピットは少し興奮気味のまま、日記を書き終えた。
ピットの部屋から僅かに離れた部屋で、スネークはワインを飲んでいた。
目の前には部屋着を着た法王が昼間と変わらない神々しさを醸し出しながら、対面に座っている。
「昼間の話を、お聞かせくださるので?法王」
「はい、そのつもりで来ました」
スネークはワイングラスを机に置くと、目の前の女性を見つめた。
「そっちが許せるところまででいい、聞かせてくれ」
法王は静かに頷くと、ゆっくりと思いだすように語り始めた。
―――あれは、私が法王になって間もない頃でした。
温かい春風が吹き始めた頃の早朝。私はいつものように散歩をしておりました。
ふと、視界に引っかかるものがあり、すぐ横に立っていたイカロスの像を見ました。
その陰に隠れるように、ようやく足が立つぐらいのあの子が眠っていたのです。
どこの子かもわかりません、医者に見せたところ虐待を受けていると分かったので探すのも止めました。
それ以来、私の手元で育てることにしたのです。
「神に選ばれた子、だというのは?」
「あの子の背中です。あの子の背には『羽』があるのです」
「羽・・・?」
今日抱きかかえたとき、そのような感触は感じなかったが。
「普段は隠していますが、黒い羽が生えているのです」
「それは・・・」
黒なんて、悪魔のようじゃないか。
そう言いかけて不意に昼間のピットの柔らかい笑みを思い出し、考えを打ち消した。
「ですがその羽も徐々に白くなり始めているのです」
「いつか、天使になるとでも?」
「あの子は、なります。そういう運命を持っているのです」
「法王だからわかる天啓ってやつか」
「周りは愚かな女と思うでしょう、ですが断言できます。あの子は将来多くの人を救う良き法王になります」
あまりにも強い口調に、スネークはふぅと肩の力を抜いた。
「将来の法王・・・なかなか重たい仕事だな」
「・・・嫌になりましたか?」
「いいや。だが、俺のことは知っているのか?俺の出生、素性・・・」
ふっと遠い眼をするスネークに法王はこくりと頷いた。
「知っています、だからこそあの子の護衛をあなたに頼んだのです」
「そうか、なら、きっちり働かせてもらおう」
スネークはそう言うとグラスに余っていたワインを一気に飲み干した。
next.
ブラウザバックでお戻りください。