長い時間をかけて、ワタルはマンションに着いた。
階段を1段1段、身体を横にしてカニの様に登る。
人間の身体がこんなに重たいなんて。
雨で濡れているから余計に重たい。
ワタルはミツルを落とさないよう、痺れる腕に何度も力を込めながら階段を登った。



「・・・はっ・・・は・・・やっと・・着いた・・・」

玄関のカギを開けて、室内に入る。
室内には誰もおらず、ワタルとミツルを静かに迎えた。
まだ母さんが帰ってくるまでに時間があるから、それまでにミツルをどうにかしないと。
意識が曖昧なミツルを背に抱えたまま、ワタルは風呂場に直行した。

「ミツル、お風呂入らなくちゃ」

お互い雨でずぶ濡れの状態。
放って置けば風邪を引くかもしれない。
ワタルは放心状態のミツルの服を剥ぎ取り、浴室に入れる。
その後すぐに自分も服を脱いで、浴室に入った。
恥ずかしいなど、言っている場合ではない。

「最初は冷たいけど、我慢してね」

キュッとシャワーのコックを捻る。
シャワーの口から冷たい水が吹き出て、2人の足元を濡らした。

「ミツル、ちょっとごめん」

ワタルはミツルの腕を引いてお風呂マットの上に座らせる。
ミツルは相変わらず、どこを見ているのか分からない状態だった。

「お湯をかけるよ」

ザァァ・・・と温かくなったシャワーの水をミツルの頭からかける。
鳥肌の立っていた肌は次第に落ち着きを取り戻し、うっすらとミツルの目に光を取り戻させていた。
ぼんやりとした薄茶色の瞳がワタルに向けられる。

「ワタル・・・・」
「ミツル、大丈夫?」
「・・・オレは幻界での記憶を取り戻した」
「えっ・・・・」

唐突に。
ワタルは息を呑んだ。

「オレは、たくさん罪を犯したんだな」

微笑を浮かべ、自嘲するようなミツルの声。
ワタルは言葉を失い、呆然とミツルを見ていた。

「その上・・・ワタルに・・・・」

ワタルの心に不安の波紋が生まれる。
幻界での記憶が、蔦を這うように蘇る。

「ワタルに、無理強いをして・・・」

ワタルの目が見開かれると同時に、その表情は苦悶に染まった。




『ミツル、やめて、ミツル・・・・・・・っッ!!』




耳の奥に残響する悲鳴。

「あ・・・・・」

カタカタとワタルの身体が震える。

「ワタル」

ミツルの腕がワタルを抱き寄せ、身体を密着させる。
ワタルの口から、小さな悲鳴が漏れた。

「ワタル・・・・」

細い、ワタルの身体。
心細く震えて、オレを怖がっている。
大好きな人を、今、自分自身で苦しめている。
自分を潰し、埋め尽くしそうなほどの罪の多さと重さが。
それに耐えていかなければいけない。
それがオレの罰。
幻界での犯した罪の100分の1でも償うために。

「ワタル、ごめん」
「ミツ・・・ル・・・・?」
「ごめんな」
「ミツル・・・どうして・・・幻界で、ボクを・・・・」

ずっと知りたかったこと。
どうして、犯したのか。
途切れ途切れの声で、ワタルが問いかける。

「・・・ごめん・・・」

アレは不器用で不安定に歪んだ愛だった。
ミツルはワタルが好きと言う自覚も無いまま、言いようの無い不安を感じた。
そして、不安に負けた結果が幻界での様なのだ。

「・・・オレは不安に駆られたんだ」

幻界とどんどん深く親しむワタルに、もう現世に帰らないんじゃないかという不安。
憎んでも恨んでも、嫌われてもいいから、オレの事を追ってくるように。
だがそれは、大きな誤算を生んだ。

「嫌われても、離れられないほどオレはワタルが好きだったんだ・・・」

ミツルは未練がましい想いを苦々しく口にしながら言う。
自分のことをワタルが好いているとちゃんと知っていれば。
まだ、別の方法はあったかもしれない。

「オレは・・・、・・・・」

言いかけた言葉を、ミツルは口をつぐんで飲み込んだ。
もう、言う資格はないかもしれないから。
気がつけば、ワタルの震えは止まっていた。

「ミツル・・・」

ワタルは、ミツルの腕の中で呟いた。

「ミツルは、ボクのことが好きだったの?」
「・・・ああ」
「今・・も・・?」
「ああ」

ミツルは泣きそうな声だった。
ワタルを抱く腕に力を込めて、ワタルの肩に顔を埋める。

「ミツル、ごめんね」
「・・・なんでワタルが謝るんだよ・・・」
「ボクはミツルのことが、好きなのに心の奥で怖がってた」

ミツルはもっと苦しい思いをしていたのに。
ボクにはその苦しみを和らげる事ができたかもしれないのに。
なのに、逃げた。
ミツルは、こんなにもボクを求めてくれたのに。
ミツルはこんなにもボクの事を想っててくれたのに。

「ごめん・・・ごめんねミツル。ごめん・・・・」

ワタルの瞳から、涙が溢れる。
腑が無い自分に。ミツルの苦しさに目を背けた自分に。

「ごめん・・・・ごめんなさい・・・・・・ミツル・・・」
「ワタル・・・泣くなよ・・・お前は悪くないんだから・・・」
「ううん・・・ボク、ミツルの事、ほとんど分かってなかった・・・」

ミツルと一緒に居たいって、ボクは願ったはずなのに。
結局ミツルの苦しさに気付けなかった。
ミツルの心にほんの少し触れただけで。
ミツルを理解したいと思ったのに、ボクはミツルの心を知れてやれなかった。
ボクは自分から出た卑怯で愚かな心が、悲しくて、哀しくて仕方なくて。
どれだけ無力で、無知だったのか思い知った。
ボクはミツルの何を知ってミツルを友達と言っていたのだろう。
ごめん、ミツル。

「ワタルは・・・オレを理解しようとしてくれた。それで充分だ・・・」
「ごめん・・・ごめんね・・・ボク・・・」

ミツルに対しての気持ちに、ちゃんとケジメをつけなくては。
ミツルが強姦したのも、責任の半分はボクにあるから。

ワタルは涙を拭って、ミツルの腕からすり抜ける。
抱くものを無くしたミツルの腕は、だらりとマットの上に落ちた。

「ミツル・・・ボク、ミツルの事大好きだよ」
「・・・嫌わないのか?オレはあんなことをしたのに」
「・・・前まで怖かった。けど、今はもう大丈夫。ミツルの気持ちをちゃんと知ったから」

もう逃げないから、とワタルは決意を瞳に込めた。
ワタルの優しい手がミツルの頬を撫でる。

「ワタル・・・」

ミツルはワタルの手に頬を寄せて、その温かさを感じた。
優しくて、優しくて、涙さえ吸い取ってくれそうな掌。

「ごめんね、僕のせいでミツルをもっと苦しめた」
「苦しいのは、俺の罰だから。ワタルは気にしなくていいことだ」
「そうかもしれないけど、ボクはミツルの傍にいたい。傍に居る限り、ボクもそれを背負いたい」
「・・・お人好しだな」
「うん。でも、またミツルを突き放すようなボクは嫌だから」
「・・・・・ワタル、ありがとう・・・・・」

ミツルは静かな微笑を携えて。
ワタルはまた一筋、涙を流した。

「ボクは、何にも出来てないよ。ミツルに対して何の力にだってなってない・・・」
「でも、オレはワタルに心が救われた気がするぜ・・・」
「ミツル・・・・」
「罪は重い、今にも押しつぶされそうなぐらい。でもワタルが居てくれるから」

『オレは孤独に堕ちない』

そう囁かれて、ワタルは強くミツルを抱きしめた。
ミツルもワタルの背に腕を回す。
苦しみと愛情を同時に抱きしめて、互いの体温感じる幸せを噛み締める。

「ワタル、オレはワタルが欲しい」
「いいよ、ボクにミツルを触れさせてくれるなら」

ミツルは硝子の結晶を置くような優しさで、ワタルをマットに押し倒した。























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