+マインド+



「・・・また会ったね、金色の死神」

月光の満ちる部屋の中、哀しみの王はベッドの上で足を伸ばしていた。
金属めいた金色の首巻きが彼の影と混じり、怪物のような影を作っている。

「・・・テメェか」

シャワー室から出てきたガンツはまだ身体に水を纏わせながら側の椅子に腰かけた。
若干がっかりしているのは気のせいではない。

「クロノアじゃなくてがっかり?」
「・・・別に」

王が足を組みながら笑う。
その雰囲気はどこか怒っているような気がしなくもない。
それには思い当たる節がある。
今し方、ガンツはクロノアを抱いていたのだ。
あっさりと意識を飛ばした幼い彼の後処理をした後、一人身を清めていた。
ガンツとしてはまだ物足りないぐらいだが、無理はできないと諦めた。
せめて抱いて寝るぐらいしようかと戻って来てみたらベッドの上には違う者。
落胆するな、という方が無茶である。

「今度は何の小言があンだよ?」

顔合わせればガンツに苦言をする哀しみの王はその言葉を鼻で笑った。
馬鹿にするような響きで言葉を紡ぐ。

「別にきみに用なんてないよ。ただクロノアが疲れているみたいだったから、交代しただけ」
「疲れる?そんなにした覚えはねェけどな」

悪びれなく言うガンツに王は蔑む視線を投げかけた。
すでにその視線には慣れてしまった身としては痛くもかゆくもない。

「・・・クロノアはきみが思ってるほど、強くはないから」
「テメェは強いのかよ?」
「どうだろう?クロノアが沢山哀しんでいる時なら、強いのかもね」

ぞわりと鳥肌が立ちそうな気配が王を取り巻く。
怪物を象っていた首巻きの尾は蠢き、さらに異形の影を作り出した。
壁や床を埋めるその黒は彼の王の攻撃形態を思わせる。
スフィアモードと呼ばれるものであり、王を中心に触手の球体を作る。
それはすなわち攻撃と防御の同時を満たすもの。

「(こいつが強くなったら厄介なことこの上ねェ)」

溜息を吐きつつ、濡れたタオルを椅子の背もたれに掛ける。
そのまま窓にカーテンを掛けてしまおうかと思ったが、腰を上げるのを止めた。
哀しみの王の姿は唯一月光によって照らし出されている。
朧気な冷たい光を奪ってしまうのはなぜか忍びなかった。

「だったらテメェには弱くいてもらわねェとな」
「きみに頷くのは癪だけど、そこに関しては同意見だよ」

哀しみの王はクロノアの心の一部、哀しみを担う存在。
本来ならば現実には存在しない者なのだ。
それが稀に主の身体を借りて出てくる。
クロノアを想う心と、ガンツを忌み嫌う心を持って。
可愛くねェ、とガンツは極小さな声で呟いた。
しかし王の大きな耳にはしっかり聞こえていたらしい。

「いいよ別に。僕はクロノア以外に興味はないから」
「・・・クロノア以外、なァ・・・」

クロノアは王の中で絶対的な統治者。
だがそれは彼の心の中の統治者であって、現実世界ではガンツの独占を受ける身である。

「僕は哀しみだけど、クロノアに哀しんで欲しい訳じゃないから」
「随分クロノア思いじゃねェか」

ガンツが茶化して言うも、王は切実な声で言い返す。
月光に照らされる彼が淡くなり、次第に儚く見えてきた。

「当たり前だよ。クロノアはボクを助けにきてくれた。もう忘れないって言ってくれた」

王の言う『助け』が何なのかガンツにはよく分からない。
恐らくそれは王とクロノアだけの繋がりであり、介入できるものではない。
それは野暮な自分にも分かる。

「助けに、か」
「…何?」
「自分で自分の心を救いだすってのは器用だと思っただけだ」
「…そう、だね。きみには絶対出来ないと思うよ」

勝ち誇った顔と声にガンツはぴくりと眉を潜めた。
不快に思ったからではなく、己の過去を思い出したためだ。

「オレの哀しみなんざ全部、周りや一人の男に向けて憎しみに変えちまったからな」

奪われる哀しみが己の無力を呪い、簡単に無残な憎しみ変わっていった。
自分の心を自分で救えるほど、強くはない。

「きみは憎しみに囚われやすい。クロノアを傍におくのは…それを避ける為?」

尋問めいた問いかけに、ガンツは薄く笑う。
否、疲れた笑みでもあった。

「…憎しみの力は強い。それで生き延びるぐらいな。だが、気分のいいもんじゃねェからな」

クロノアに会うまで。
仲間というものを持つまで。
心は濁り、世の中にきれいなものなど何一つ無いとまで思っていた。
自分も汚れた者だと開き直って獣道を渡ってきたのだ。

「横にできるなら、そんなモンやってしまいてェ」

己を生かす憎しみよりも、優先させたいものがある。

「クロノアがいりゃあ何があっても横にやれる。自分より…って奴だ」

柄にもなく惚気るガンツに王はふぅんと興味なさげに呟く。
つまらなそうに唇を尖らせながらつぃ、とガンツを指差した。

「じゃあ、自己防衛の為にクロノアを利用してるんだ」
「そうかもしれねェな。テメェに利用って言葉を使われたんじゃ腹も立たねぇよ」
「・・・へぇ」
「利用するだけだったら、こんなに心砕く必要もねェなのになァ・・・」

哀しみの王に注がれていた視線がふっと遠くを見る。
その顔が妙に大人びて見え、王は一瞬深紅の目を丸くした。

「・・・きみは、思っていたよりは・・・」
「ぁン?」

ガンツの視線が再び王に注がれる。
王は見えない紐にでも引っ張られるように気だるげに宙に浮きあがった。
ふゆふよと短い空中浮遊はガンツの目の前で終わる。
闇がガンツと哀しみの王が包んだ。
瞳から月光が、陰る。



「金色の死神」



闇の中で、ガンツの頬に王の手が触れた。

「なんだ?」
「拒絶してばかりだけど、今、少しはきみの事を知ろうと思ったんだ」
「そりゃ殊勝なことだな」

触れて――触れるだけで何が分かるのかどうかガンツには分からない。
だがこれで伝わるものがあるならば、それはそれで構わない。
頬に触れた手がゆるゆると唇に触れた。
王の指は、冷たい。

「クロノアよく言うでしょ?「前へ進むんだ」って。ちょっと見習ってみただけ」
「前へ、ねェ。後ろに下がられても困るからな」

唇に指が置かれているせいか多少話し辛いがどうにか返事を返す。

「…わざときみを煽る様な事を言ってみたけど、怒らなかった」
「ぁア?」
「思ってた程嫌な奴じゃないね、勿論きみの事は嫌いだけど」

ガンツが手を伸ばして王の顔に、唇に触れる。
伝わってきたのはその柔らかさと少し湿り気のある呼吸と、表情。
三日月に口角を上げて笑っている。
何が――何がおかしい。楽しいんだ。

「嫌いは嫌いなのかよ・・・」
「だってきみはクロノアを泣かせるから」
「泣かせる?あー・・・まァ、否定はしねェよ」

気まずくなって王の小さな口から指を離す。

「危ない旅に連れ出すし、ブリーガルにいれば見なくていいものを見せる」

でもクロノアが、と言葉が暗幕を滑った。
ガンツを責めている口調ではない。
聞き取り辛い声で嫌うだけ、と悪戯っぽく囁いた。

「王サマの恩赦があるンだかないンだかだな。アイツが喜んでる時もあっただろ。一応」
「喜んでる時がない様ならとっくにスフィアだよ」

途端にいつもの冷たく世の終わりの声に戻る。
もう少し上機嫌であればいいだろうに、と心の中で毒づいた。

「おっかねェな。即断罪じゃねェか」
「ちゃんと心に留めておいてよね」
「・・・忘れねェよ」
「・・・でも、クロノアの事とは別に、少しきみに興味が湧いた」

月光はまだ射さない。
声だけが舞台裏みたいな薄暗い部屋に満ちた。

「興味?オレはテメェの存在の方がよっぽど気を引くと思うがな」
「そうかな。・・・ねぇ、きみの事教えてよ」

ガンツの唇を冷たい指が紅を引くように動く。
手付きは、口付けに誘っている風にも受け取れた。

「オレの事なァ。クロノアの目を通して見えてるんじゃねェのか?」
「それはあくまで外面上だよ。ボクはきみの心が知りたい」
「オレの心は生憎具現化できねェんだけどな。何がどう、知りたいんだ?」

唇で柔らかく王の指を食む。
指先がピクリと可愛らしく強張った。

「クロノアを通してじゃなく、哀しみの王…カナとして、きみを感じてみたい…と言ったら?」
「…!断るわけねェと思って、誘ってやがるんだろうな?」

つつつ、と鼻先が触れる程に顔を寄せる。
王は視線すら逃げ出さない。
そういう意味で誘っていると見て間違いは無いようだ。

「さぁ、どう思う?ボクはきみの心を知りたいだけだよ」
「知りたいなら探ってみな。自分でな――」

暗闇に目は慣れていたがあえて見開いたまま口付けた。
小さな唇は探れば驚くほど熱を発している。
初めての体験には間違い無いらしく、浮いた身体が不規則に震えていた。

「ん・・・・・・・・」
「・・・・オレの心は伝わったか?」

おどけるように訊ねてこつん、と額を合わせて鳴らす。
最初よりはこの小生意気な王が可愛く見えていた。

「・・・・・あんまり」
「じゃあもう一度だ」
「っ…ふ、ん、ん……」
「まだ、だ」

唇が重なっては離れ、また濡れた音と共に重なる。
王がガンツの服を掴んできても、それを止めることは無い。
むしろ床に押し倒され、王は咄嗟のことに身を竦ませた。

「っは…。まだ、わからねェみたいだな」

意地悪そうな笑みから逃れるため王は無言でそっぽを向き、その熟れた頬を露見させる。

「もっと分かりやすくしてやるぜ」

あ――と王が声を上げる前に、金の首巻きはベッドの上へと放り投げられた。
















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