頬を爽やかな風が流れていく。
それでも目を開くことはできず、哀しみの王は目の前の背中に顔を埋めた。

「そこの街道曲がるからな。余計に動くんじゃねェぜ」
「分かってるよ…もう、乗り物を考案した全ての人間にスフィアしてやりたい気分だよ…」

重い溜息もあっさりと風に攫われる。

「物騒な真似はよせよ。便利なモンなんだからな」

レッドクランを撫でつつ、ハンドルを右に切る。
身体が右に引っ張られる感覚に王は顔を顰めて耐えた。

「それはそうだろうけど、誰にだって苦手なものや嫌いなものの1つや2つあるんだよ…」
「クロノアは割と平気だったがな」
「僕は向こうではもう一個人として存在を確立してるからね…全部が全部クロノアと一緒な訳じゃないよ」
「他にもなんか違う所はあるのか?」
「…きみの事が嫌いな所とか、その最たるじゃないの」

ハッと見下した笑いをする王にガンツはひくりと顔を引きつらせる。
嫌い、嫌いだという王に慣れつつあるがやはり言われると憎たらしいものがある。
自然と沈黙が訪れ、絵画のような景色が流れていく。

「…ハンバーグは好きか?」
「…え?ハンバーグ?…まぁ、どちらかと言えば好きだけど」
「野菜は?特にトマトとか」
「トマト……あんまり好きではないかな。食べられなくはないけどさ」
「クロノアよりは味覚は大人っぽいんだな」

ガンツの比較するような言葉に王は何かを思案するよう視線を遠くに向けた。

「…それは多分……う、何か気持ち悪くなってきた」
「何!?スピード少し落とすぞ!」
「う〜〜…後どれ位…?」
「もう10分ぐらいだ」
「まだ半分なの?僕、頑張れるかな…」

頑張りたくないオーラを全身から醸し出す。
ガンツはそれを無視してほんのお情け程度にスピードを緩めた。

「頑張ってもらわねェとこっちが困るンだがな。なんか楽しい事でも考えてろ」
「楽しい事…哀しみの国が再建されて、沢山の人が遊びに来て…」
「(背後が怖ェ…)」

ぶつぶつ呟きだした王の目の焦点はどこなのか全く分からない。
ふと嬉しそうに聞こえてくる言葉に思わずガンツは突っ込んでしまった。

「クロノアがルーナティアに永住とか…うん、すごく楽しいかもね…」
「それはちょっと待て!」
「何?考えるのは自由でしょ」

邪魔しないでよと言いたげに睨む王にハンドルをきりながら苦く言い訳をする。

「そりゃそうだが…」
「それに心配しなくても半分は冗談だから」
「半分本気じゃねェか!ったく油断も隙もねェな」
「まだ今は許容範囲内だよ」

一体何の許容範囲内なのかは恐ろしくて聞く気がしない。
クロノアがこの世界に愛想尽かさない限りは現状維持だよ、とありがたく期限を設けてくれた。

「フン…まだ世界の一端ぐらいしか見てねェんだ。この程度で愛想尽かされてたまるか」
「じゃあせいぜい頑張ってよ。僕としても…その方がいいんだから」

蚊の鳴くような声で小さく呟いてそれっきり黙り込んでしまう。
景色は相変わらず穏やかに流れ続けた。









街の門前でガンツはバイクを止め、括り付けた王の金色の帯を解いていく。
王は開放感にほっと息を吐きつつ目の前の街を眺めた。

「バイクは二度とごめんだよ…」
「…オレもだ。こんな緊張する運転は久々だぜ」
「適度な緊張があった方が安全運転出来るからいいんじゃないの」
「ハンドルに余計な力を入れるのを適度な緊張とは言わねェ。冷汗が出たぜ」
「そう…」

どうでもよさげに相槌を打って門を見上げた。
青空を背景に錆びた門は薄れて読めなくなった街の名前を今でも健気に支えている。

「このまま宿見つけるからそこで休めよ」
「うん」

見上げていた顔をガンツに向け、口の中に溜まった溜息を飲み込んだ。

「じゃあ行くぜ」

バイクを邪魔にならない程度に門の脇に止め、王の手を取った。

「わっ!?」
「あァ?」
「いきなり手なんか取るからびっくりした…」
「迷子になられても困るからな」
「クロノアにもこうして?」
「あいつ前に迷子になりやがったから」

頭を抱えるガンツに王はふっと笑みを零す。

「保護者だね、憎たらしいけど」
「バカ言え。クロノアがいつまで経ってもガキだからだ」
「そうでもないよ」
「何…?」

きょとんとするガンツの顔に、王は呆れたように息を吐いた。

「時が止まってるわけじゃないんだから」
「…何だかなァ…」

言葉にできないショックを受けたようで金色の死神らしからぬ表情になっている。

「もう、お願いだからしっかりしてよ。余計な不安要素増やさないでよね」
「わ、分かってる。ただ急にンなに先の事を想像したら妙な気分になっただけだ!」
「そんな先の事でもないでしょ。ここ数年の話だよ」
「数年…アイツ…成長するのか」

失礼な物言いに王がキッと目尻を上げる。

「失礼だね。少なくとも僕等にしてみれば凄い変化なんだから」
「…アイツはあのままちっこいままな気がしてた。そうか、そうだな」

重ね重ね失礼だ、と王は立腹を捲くし立てた。

「ここ数年…そんなに大人になってたか?」
「心身ともに成長期だからね、これからいくらでも変わっていくさ」
「…もうしばらくは手ェ掛かりそうだけどな」

ガンツは成長を心待ちにしている顔で牙を見せて笑った。

「…否定はしないけどさ。でも僕がこうしてこの世界に顔を出すのは多分もう少しだけ」
「何でだ?たまにぐらい出て来いよ
「…あのね。どうも感覚鈍ってるみたいだけど、元々僕はこの世界に存在する者じゃない」

今のこの状態の方が不自然なんだよ、と諭す。
繋いだ手が冷たくなっていくのがお互いに感じられた。

「…そりゃ、夢だの心だのが現実になんて現れるなんざオレだって出来た試しがねェよ」
「そうでしょ?たまたまきみは受け入れてるけど、気味悪く思う人だっているはずだよ」
「くだらねェ」
「…でも皆が皆そういう風に割り切れるかは別だって知った方がいい」

街の人達とすれ違いながら足を前に進ませる。
金色の帯を普段より縮ませないといけないため、若干歩き辛い。
そもそもこんな目立つ格好をしているのだから迷子にもならない気がしてきた。

「クロノアの成長がテメェの存在に関わってるのか?」

前を見たまま、少し声のトーンを落としてガンツが尋ねる。
手を離すタイミングを失ったせいで王は口を一度塞ぐと、溜息と共に語りだした。

「僕の存在、というには少し語弊があるかな。“この世界での存在”には関わってるよ」
「…どういうことだ」
「…それを説明する前に。きみは僕等の事をどこまで知ってるのか教えて」
「テメェはクロノアの心の一部で、クロノアになんかあったら代わりに現実に出てくるぐらいしかわかんねェよ」

肩を竦めて答えるガンツに王はあからさまに嫌な顔を見せた。

「うわ、面倒くさ…」
「大まかに言ってそうじゃねェのか?」
「大体そうだけど…じゃあクロノアが哀しみの存在を否定していた事は?」
「そりゃ嫌なモンとか思いだしたくない事を失くしたかったからとかじゃねェのか」
「そうだよ…だから小さかったクロノアは哀しみを…僕を忘れ去ったんだ」

王の赤い瞳が揺らぐ。
哀しみの国が失われた時の事はまだ心に重い。

「まァどんな体験したのか詳しくはオレも知らねェがな」
「多分きみが聞いたら怒り出すだろうね」
「…聞かねェでおくぜ。そっとしといた方がいい事なんだろ」
「まぁね。兎に角そうやって一度クロノアは哀しいっていう感情を忘れ去ったんだ」

言い換えれば哀しみの王と、その国を忘れたという事である。
その事でクロノアを憎んだことはない、ただ結果的に助けを求めてしまったが。

「僕は僕で忘れられる位なら、いっそクロノアを哀しみだけで満たしてやろうと思って」
「結構テメェも無茶な事しやがるなァ…」
「まぁ、ね…。それで結局クロノアは僕を受け入れてくれた訳なんだけど…」
「よかったじゃねェか。それで解決したんだろ?」

ガンツの呑気な声に王は首を横に振る。

「全部が全部解決した訳じゃないよ。今、まだクロノアは哀しみを受け入れきれてない…というより哀しみに慣れてないんだ」
「慣れてない…まァ抑え込んでたモンをいきなり認めたわけだからな」
「そう。だからクロノアが哀しみを抑えられずに暴走したり、逆に押しつぶされてしまったりしない様に僕がこうしてサポートをしてるんだ」

分かったのか、と王はガンツを横目で流したが、当のガンツは宿を探すため目線を斜め上の看板に向けていた。

「…まァなんつーか、オレに説教するだけとかじゃねェんだな」

テメェが出てくるのには、と付け加えると不機嫌な顔の王は溜息を吐く。
夕暮れが近づくせいか、多かった人が次第に少なくなり道が歩きやすくなる。
長く漂う帯をすれ違う人に当てないよう気を付けながら、その小さな唇を尖らせた。

「…僕を何だと思ってるのさ」
「いや…ただ気まぐれで出てんのかと思ってただけだ」
「ほんと、失礼だよねきみって」
「悪かったな。それでサポート役の存在がどうなるってんだ」

結論を急ぎ出したのか、ガンツはじれったそうに呟く。

「時間が経つに連れて、クロノアが哀しみに慣れてきてる。つまり自分自身でコントロールが出来るようになりつつあるんだ」
「つまり…テメェが肩代わりする必要がなくなるわけか」
「そういう事。だから僕がこうしてこの世界にまで関与する必要もなくなるんだ」
「それが出てこなくなる理由ってわけか」
「そう。やっぱり僕にとっては存在するべき、帰るべき世界はルーナティアだから」

そっと空いた手で胸に手を当て、心を想像する。
彼の世界の国が、自らの帰るべき場所だ。
そうして完全に帰化してしまえば、ガンツと会うこともない。

「…普通の人なら、それがまともな事なんだろうな」

王の手を引き、角を曲がりながら呟く。
曲がった先には広場が広がっており、よくわからないが立派な彫刻が並んでいた。
側の遊歩道を歩きつつ、たまにすれ違う人を避ける。

「心や夢は具現化しねェ。さっきテメェが言った気味悪がる人ってのも分からなくはねェ」
「うん」
「だがなコントローできたからって哀しい事がなくなるわけじゃねェんだろ。だったら――」
「それは駄目だよ」

何故だと問うガンツに王は静かに首を振った。

「僕がいるから僕に哀しみを任せる…それじゃ哀しみを受け入れられないのと一緒だ。それじゃ何時ま経っても子どものままだよ」

それでは駄目だ、ときっぱり言い放つ王の威厳に思わずガンツは閉口してしまう。

「憎しみに捕らわれて暴走した事のあるきみがそれを分からないなんて事は、ないでしょう?」
「…テメェは、心の中ではクロノアの中にずっといるんだろうな?」
「そうだよ。僕は今度こそ僕として、あの世界で生きていくんだ」
「――そうなるとこうやってオレとか外の奴の接触はできなくなるわけか」
「そうなるね」

今繋いでいる手が、クロノアの成長と共に消えていく。
何とも言えない複雑な気分に、ガンツは繋いだ手を握り直した。
まだ、まだ本当に小さい手なのだ。

「…テメェ、今この世界でやりたい事とか見てェモンがあるか?」
「な、何、いきなり」
「クロノアが大人になるのは止められねェ、それは良く分かったからな」
「うん」
「だったらテメェがこっちに来てる間は、テメェに付き合ってやる」

自信満々なガンツに思わず王はぽかんとしてしまう。

「いいな。嫌だっつてもテメェもオレに付き合え」
「……相変わらず強引だね、きみは」
「後でああしとけばよかったって後悔したくないからな。あと黙って消えるのも許さねェ。挨拶に来させるぐらいの恩を売りつけてやるからな」
「……はは、変なの」

くすくすと金糸の帯をくゆらせて王が笑う。
ガンツは多少照れくさい気持ちになりながらも、言いたいことを全て言ってのけた。

「クロノアとじゃない、テメェとオレはちゃんとこうやって話してたって事、忘れるンじゃねェぜ」
「僕、向こうじゃ一応王様とか言われてるのにそんな風に命令してくるなんて…流石死神って所なのかな」

とうとう腹を押さえて笑い出した王に気まずく舌を打つ。

「馬鹿にすンな。オレからしたらテメェはただのバイクが怖いガキだ」
「はははっ、褒めてるんだよ。わかった、付き合ってあげる」
「なんだ、えらく素直になったじゃねェか」

稀な王の笑顔にニヤリと笑った。
いつもこうなら良いのにと思う反面、皮肉を言わなければ王でないような気もする。

「その代わりちゃんとエスコートしてよね」
「任せろ。まァ、退屈はさせねェぜ」

そう言った所でガンツの足が止まった。
目の前には小さな宿屋があり、看板の値段を読んでいる。

「この宿でいいだろ」
「別に僕はどこでもいいよ」
「じゃあここな」

早々と決めて宿屋に入った。
宿の中は入ってすぐに木製のフロントがあり小さな金色のベルと名簿が置かれていた。
左手に食堂らしき場所があり、ちらほら人がいる。
宿屋に初めて入る王は最初こそ木造の天井や壁を見詰めたものの、すぐにガンツに視線を戻す。
物珍しい気持ちはあるが、きょろきょろしていたらそれこそ笑いの種だと目を伏せた。
王たる者、常に堂々と構えていなくてはならない。
ただ目の前の男にたまにそれが崩されたりもするのだが。
ガンツはフロントで手続きを済ませ、無言で王の手を取り2階へ上がろうとする。
だが、その手を王はするりと避けた。

「あン?」
「宿の中ぐらい君の手はいらないよ」
「そーかよ」

階段を上がるガンツに続き、王もその背を追う。
多少年季の入った木の板がぎしりとなり、抜け落ちてしまわないか不安になりかけた。
今ここで空中に浮遊するわけもいかず、やはり歩くと言うのは面倒だと心の中で愚痴を零す。
階段を上りきり、その先には照明が天井からひとつ垂れた細い廊下だった。

「部屋は一番奥だ」
「ふうん…思ったよりきれいだね」
「大体こんなもんだろ」

一番奥の部屋の扉を開き、そのまま王を入室させる。
ガンツは部屋の中へ入らず、戸口で王に声を掛けた。

「シャワーでも浴びてゆっくりしてろ、オレはメシ頼んでくる」
「わかった…」

緩やかに床を滑りながら浴室に向かう王に、ガンツはさっさと扉を閉める。
周りに誰もいないとはいえ、もし人に見られたら幽霊と思われかねない。
すぐに1階に降りて食堂に入る。
注文票を取り、メニューを書き込もうとして手が止まった。

「飯は…ハンバーグでいいのか…」

クロノアの好みは知っているが王の好みはほとんど知らない。
しばらく思案した後、結局いつも通りのクロノア好みのメニューを書き込んだ。

「ま、嫌いじゃねェっつってたしな」

注文票と代金を店の者に差し出し、食堂を後にする。
あの王様の方がクロノアより大人びた感じはするし、どこかへ勝手に行くはずもない。
そう思ってはいるものの、何故だかクロノア以上に部屋に一人で置いておく事に焦燥感を覚えた。
自然と早くなる足で部屋に戻れば、まだシャワーの音が聞こえている。
ガンツは銃をベッドサイドに置き、そのままベッドに腰かけた。

「…妙な気分だぜ、まったく」

まるでどこかにクロノアを置いてきてしまっているような感覚。
王はクロノアではあるが、そうでないが故の違和感。
やりきれない思いを溜息で零したと同時に、風呂場から王が姿を現した。

「ゆっくりしてろって言うから、本当にゆっくりさせてもらってたよ」

がしがしと頭を拭きながらガンツとは反対のベッドに腰かける。
王は髪より耳を拭く方が大変らしい。
器用に金の帯を使って耳の端まで拭っていく。

「晩御飯、何?」
「テメェはハンバーグとオレンジジュース、あと一応パンを適当に選んだぜ」
「そう、ありがと」

そっけなく言い、反対側の耳をタオルで拭いていく。
言葉の続かなくなったガンツは上着だけベッドに脱ぎ捨てると風呂場に向かった。

「オレもシャワー浴びてくる。ルームサービスがきたら呼べ」
「ルームサービス…?」
「…店の人が飯持ってきたら、呼べってことだ。ノックしてくるだろ」

首を傾げる王にガンツは苦笑しながら教える。

「ああ、そういう事。分かった」
「じゃあ頼んだぜ」
「うん」

風呂場に消えていくガンツを見送って、王は濡れたタオルをテーブルに放り投げた。
ぱた、と仰向けにベッドに沈み込み、少し乾いた喉が暇、と呟く。
風呂場から、かなり床びしゃびしゃにしやがったな…と同時に呟く声も聞こえたがそれは聞かなかった事にした。

「……クロノア、今頃何してるかな…」

ルーナティアで休息を取っているであろう彼は王のこんな努力を知る由もない。
知らなくても良い事だが、普段常に彼を心の中から見ているだけにそれが分からないと不安になる。
彼が一番安全な休息をとれる場所に自分がいない不安に、切ない溜息が出た。

「…クロノア…」

慣れない部屋の天井がひどく高いものに思えてくる。
孤独。砂に落ちた国にただ一人いた時の感覚が蘇りかける。
涙が出る前に扉からノックの音が響き、はっと身体を起こしてガンツを呼んだ。

「死神、ノックの音がした」
「ン、分かった。今出る」

タオル一枚腰に引っ掛けて出てきたガンツにえ、と王は目を丸くする。

「…その格好で?」
「バスローブぐらい羽織るっての」

慣れた手つきで白を纏い、扉に向かった。
びっくりした、と本気の声で零す王に、返事代わりとして耳を下げる。
食事をテーブルまで運んできたガンツは放り投げられたタオルに眉を顰めた。

「おい、タオルは浴室に持っていっとけよ」
「持ってく前にそっちが入ったからだよ」

王はタオルを金の帯で浴室にまたもや放り投げ、自身はゆったりと席に着く。
案外おおざっぱなのだな、とミネラルウォーターの瓶を開けながらガンツは目を細めた。

「こっちの瓶は酒だから飲むなよ」
「え?お酒飲めるけど?」
「テメェ飲めるのか!?」

席に着き、フォークを掴もうとしていたガンツはぴたりとその手を止める。
王は平然とハンバーグの切れ端を口に運び、普通の味だねと?気に咀嚼していた。

「…お前は一体どんな奴と向こうで暮らしてんだ…。じゃあ飲むか?」
「別に強いわけじゃないから…少しだけ」

酒をお互いの装飾のないグラスに満たしていく。
透明で僅かに金色をした液体はグラスの縁にシュワシュワと小さな泡を弾いた。

「何にも乾杯できる事はねェけどな」
「レオリナは何もなくても飲んでるよ」
「レオ…何だと?」
「レオリナ。空賊だけど」
「…変わった知り合いだな」

クイと酒を一口含み、まずまずの味を確認する。

「…メシ、食えるか?つーかテメェは普段何食ってンだ?
「普段?魚料理が多いかな…ほら、さっき言った空賊の人が魚が好きだから」
「理もそいつがすンのか?」
「いや料理はその人の仲間が…」
「そうか。一応メシを一緒に食う奴はいるんだな」
「うん」

会話の間に王は普通に酒を飲み干した。
クロノアと違いスムーズで極めて小さく食物を口に運んでいく。
あまり大きく口を開かないせいもあるだろうが、それが逆に優雅に見えてくるから不思議である。

「もう少し酒飲むか?」
「もういいや。あんまり飲んで酔っても困るから」

粗方食事を終え、半分残ったミネラルウォーターの瓶にガンツが栓をし直した。
はた、とその指が王の唇に触れた。

「口端にパン屑ついてんぜ」
「わっ!?び、びっくりさせないでよ…」

猫が驚いた時と同じように肩を跳ね上げる。

「びっくりするような事かよ」
「そうかもしれないけど…」

クロノアもよくやるからな、と笑いながら言うガンツに王は皮肉っぽい口調で言う。

「…きみ、お母さん属性でもあるんじゃないの」
「ねェよンなモン。けど気になるだろうが」
「そう?」
「…テメェだってオレの顔にケチャップがついててみろ、気にならねェか?」
「気付かない振りして、きみが外に出て笑いの的にされるのを見ててあげるよ」
「…そういうことを言うのはこの口か、アァ?」

王の両頬を引張り食事の時の2倍口を広げる。
途端にじたばたと暴れ出す王にガンツはパチンと弾くようにして頬を離した。
王の白い頬がそこだけ赤くなり、痛々しくも可愛らしい。

「い、いたた…すぐに暴力に訴えないでよ…」
「テメェの口が減らないからだろ」
「…ほんと、性格悪い」
「唇で取ってやった方がよかったのかよ?」
「い、いいよそんなの!夢に見たらどうするの」

真剣に嫌そうな顔をする王にガンツは多少苦い表情を浮かべた。
分かっていたことだが、王はガンツを好んではいない。
クロノアがガンツを好むから、こうした態度で済んでいるだけなのだ。

「夢にって…一応テメェも夢はみるのか」

「だから…僕は向こうだともう一個人として生活してるって言ったでしょ」
「そりゃ言ったけどよ。どんな夢なのか見当もつかねェな」
「夢は夢だよ。それ以上でも以下でもない」
「…ま、見当つかねェのはそっちの、クロノアの心ン中の世界の見当がつかねェのもあるがな」

ふいに思いついて王の国を問う。
王は視線を幾度か彷徨わせた後、優しい声で語り出した。

「今は他の国と同じ。国の垣根なく人がいて…まぁ哀しみの国だから静かではあるけどいい所だよ」
「…見えるモンなら一回見てみてぇが、そうもいかないからな」
「まぁ……ね」
「…良い所なら安心するぜ。なんたってクロノアの心ン中だからな」
「大丈夫、今は本当にいい世界なんだから。僕が言うんだから間違いないよ」

穏やかだが王者たる風格で国を誇らしく思っている。
それがいけなかったらしい。
気が付いた時にはテーブルから身を乗り出してその顎を掬い、穏やか笑みに口付けをしてしまっていた。

「んぅ…!?」

驚いた王が金の帯をくねらせ、ガンツの肩を押す。
ちゅ、ちゅと水音が跳ねるほど貪った後に、涙目の王が口を押さえて睨んできた。

「いきなり…何を…」
「…テメェがいい所だっつーのに、オレが見れねェのが癪だからだ」
「……それって…八つ当たりって言わない…?」

ガンツの適当な言い訳に呆れた顔で王がごしごしと唇を拭く。

「かもな。誰だか知らねェ奴とも仲が良いみたいだしな!」

「うわっ!?ちょっといきなり…!!」

ベッドに放り投げられ、慌てて浮遊を試みる。
だが金の帯を掴まれ、風船を手繰り寄せるようにして王はベッドに縫い付けられた。






















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