+最期+


夕方。
ヴィオはまだベッドの中で眠っていた。
普段ならその横にシャドウがいるのだが、今日はいない。
正しく言えば、昨日から。




一昨日の夜。

『ヴィオ、俺少しの間帰らないから』

シャドウはベッドの中でいきなり切り出した。

『どうしたシャドウ、何かあったのか?』
『んー・・・まぁ、仕事。すぐ帰ってくる』
『そうか』
『それで、頼みがある』

シャドウはヴィオの顔を覗き込む。
紫暗の毛先が首筋に当たり、ヴィオは少し身じろいだ。

『なんだ?』
『俺がいなくなったら、ヒノックス達が花を持ってくる』
『花?なんでまた』
『ただの花じゃない。特別な花だ』
『・・・それをどうしろと?』
『世話を頼む』
『花の世話なんかしたことないぞ』
『1日1回、水をやるだけでいい』
『・・・分かった』
『枯らすなよ』
『努力はしよう・・・』

翌朝、本当にヒノックスが植木鉢に入った一輪の花を持ってきた。
それは、見たこともない燃えるように赤い花だった。




「ん・・・」

夕日が沈んだ頃、ゆっくりとヴィオが目を覚ます。
辺りを見回し、派手な花に目が止まる。

「・・・まだ帰ってきてないのか」

もちろん、シャドウの事である。
ヴィオはベッドから降りると服を整え、朝食・・・ではなく夕食を作り出す。
もうすっかり夜型の生活になっていた。

「何を作ろうか・・・」

ヴィオはかごの中に適当に放り込まれた食材に手を伸ばそうとして、止まった。
しばらくその状態で何かを考え、伸ばしかけで止まっていた手を引っ込める。

「・・・コーヒーでいいか」

シャドウがいる時ならば、それなりにちゃんと作るのだが。
1人の時はその気すら起きないらしい。
ヴィオはコーヒーを淹れると、飲みながら読書を開始した。




月が空の半分前まで来た頃、ヴィオは読書を止めた。
そろそろ花に水をやらなければ。
花は窓辺に置いてあり、僅かに月の光を浴びていた。

「花、水だぞ」

ヴィオはシャドウのコップで水を掬うと、植木鉢に注ぐ。
植木鉢の中の土はあっという間に水を吸い込んでしまう。
この花は咲いたままでここに来たというのに、今だ花びらが一枚も落ちていない。
どうも、自然界のものでないのは確かなようだ。

「シャドウも何を考えているんだか。大体花なんて枯れる時には枯れるだろ・・・」

ヴィオ、花を相手にぶちぶちと愚痴を零し始める。
花はうんとも言わなければすんとも言わない。
言ったら言ったで、それはホラーだ。

「いつになったら帰って来るんだか・・・」

まさかこのまま帰ってこない・・・・・・なんて事はないだろうけど。
ヴィオは何に対してか分からない不安をかき消すように溜め息を吐いた。
どうも、シャドウの事で頭がもやもやしている。
ヴィオは軽く頭を振ると花から離れ、浴室に向かった。

「頭を冷やそう・・・」

ベルトを外し、床に落とす。
そのままチェニックを脱ごうとして、浴室からの水音に気付いた。
ヒノックスが入っている・・・わけではないだろう。いくらなんでも。
ヴィオは戸惑いながらも、浴室の扉を開けた。


目に入ったのは、泡をたっぷりつけた紫暗の髪と、自分に似た顔。


「あ、ヴィオ?」

湯煙の先には、シャドウがいた。
同時にヴィオは浴室の扉を閉める。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・幻覚か」

居ない筈の者が目に映った。
ヴィオは落ち着いて床に落ちたベルトを拾い上げる。
ベルトを締めようとした時、浴室の扉が勢い良く開いた。

「ヴィオ!なんでいきなり閉めるんだよ!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんでお前がここにいるんだ?」

半ば脱力したようにヴィオが問い返す。
あっさりと帰ってきているシャドウに、ちょっと心配してしまった自分が悔しい。

「さっき帰ってきて疲れたから、お風呂に入ってたんだ。そしたらヴィオが覗いたんだろ」
「覗いたわけじゃない。俺が入ろうとしたらお前が入ってたんだ」
「ヴィオのえっちー」
「・・・人の話を聞け、浴槽に沈めるぞ」
「浴槽に沈めたら話は聞けないと思うぜ?」
「あーもう、いいからさっさとあがれ!」
「ん、一緒に入らないのか?」
「遠慮するっ!!」

ヴィオはスパァンッと扉が壊れそうなほど激しく閉めた。
そのまま、扉に背を向ける。

「入ればいいのに〜」

浴室の扉越しに響くシャドウの声に、ヴィオは今度こそ脱力した。

「・・・心配した自分が馬鹿だった・・・」





しばらくして、シャドウが部屋に戻ってきた。

「ヴィオ〜風呂あがった〜・・・」
「ああ」

少しのぼせたのだろうか、ほわほわしながらシャドウがソファーに腰掛ける。
ヴィオは例の花の横に座って、外を見ていた。

「あ、花、枯らさないでいてくれたんだ」
「お前が枯らすなと言ったんだろう」

シャドウは宙を滑り、ヴィオに近づく。
そのまま、ヴィオの横に着座した。

「ちゃんと水をあげててくれたんだな」

シャドウは真っ赤な花を撫でながら微笑む。

「・・・何の花なんだ、これは」
「音を記憶する花だ」
「音を・・・?」

シャドウは花に口を近づけると、綿毛を飛ばすように吹く。
吹かれた花はブルブルと震えると、いきなり喋り出した。

『花、水だぞ』

花が発した声は、ヴィオの声。

「なっ・・・!?」
「お、ちゃんと覚えてるな」

ヴィオは驚愕して、シャドウは嬉々として花が語り継ぐのを聞いた。

『シャドウも何を考えているんだか。大体花なん・・・』

言葉の途中でスパッと剣の閃く音がする。
次の瞬間、言葉を続けようとしていた真っ赤な花は床に落ちた。

「あー!何するんだよヴィオ!!」
「何するじゃない!人に断りもなくこんなものを!!」

くわっとヴィオが言い返すと、シャドウは溜め息を吐きながら落ちた花を拾い上げた。
シャドウの手の中で、鋭く斬られた花が揺れる。

「だって・・・俺がいない間、ヴィオが何してるか気になったんだもん・・・」

しゅんと沈み込むシャドウに、ヴィオは言い過ぎたか、と少しうろたえた。

「・・・そ、それなら、盗聴花なんか用意しなくても俺に直接聞けばいいだろう」
「・・・分かった」

ゆっくりとシャドウが顔を上げ、ぎゅっとヴィオに抱きつく。
風呂上がりなせいか、セッケンの香りがヴィオの鼻をくすぐった。

「・・・じゃあ聞かせて、ヴィオ・・・」

シャドウの妖艶な笑みがヴィオの顔を覗き込む。
ヴィオは軽く溜め息を吐くと、シャドウの唇に深い口付けを落とした。
口付けを受けている間にシャドウの手から花が零れ落ちる。
シャドウはそれを特に気にせず、ヴィオをベッドに誘った。




静かに眠っているヴィオを横目に、シャドウはそっとベッドを抜け出す。
足音を立てないよう、宙に浮いたまま落ちた花を拾う。

「・・・花は散らない限り、その効力を失わないんだよ」

先程、ヴィオは生活の事を話してくれたけど、それだけじゃ足りない。
シャドウは闇の鏡の元に行き、ゆっくり聞くことにした。




この後、花が記憶したヴィオの愚痴を聞いて、シャドウのこめかみに青筋立ったのは言うまでもない。














                                                    fin.