+暗示するもの+
シャドウは上機嫌だった。
悪戯の結果を待つように、わくわくしながら時の流れを感じる。
早く夜が来ないかと。
早く月が出ないかと。
早く闇が来ないかと。
抑制が効かなくなるほど待ちきれない気持ちを紛らわすためか、シャドウは指先ぐらいの、瑞々しい紫色の実を持ってきた。
艶やかなそれに力を込める。
ぷちゅ。
小さな音を立ててシャドウが実を親指と人差し指で潰した。
潰された実は皮の裂け目から真っ赤な液体を滴らせる。
シャドウはその実の液体を床に塗りつけるようにして、ハイラル文字を刻んだ。
呪詛のようでもあり、悪戯描きのような文字で。
グリーン、レッド、ブルー、ヴァイオレット
4つの名前を書くと、シャドウは妖艶に微笑んだ。
シャドウは空いていた手を宙で振り、毒々しい深紅の液体の入ったグラスを出現させる。
そのままグラスを傾け、『グリーン』の文字を深紅で消した。
床に深紅が広がり、タイルの間を血管のように走っていく。
続いて『レッド』、『ブルー』の文字も消した。
『ヴァイオレット』まできて、シャドウはぴたりと手を止める。
「ヴィオ・・・・」
どこか愛おしげにその名を呟いた。
シャドウは『ヴァイオレット』の上に、点々と深紅の液体を落とす。
そうして床の上に残ったのは『ヴ イ オ』のみ。
悪戯描きの出来栄えに満足したように微笑むと、パキンと指を鳴らした。
その瞬間、深紅の液体が全て発火する。
煙すら出さず弾かれたように燃える。
名前の上に落ちた液体も、グラスの中に残っていた液体も全て黒い炎となって闇に溶けた。
床に上に残ったのは燃やされなかった『ヴ イ オ』のみだった。
シャドウはグラスをその辺に放ると、その場に寝転がる。
黒い炎に焼かれた床が暖かい。
人の温かみを知らないシャドウは火のような激しい熱しか知らない。
時折、その熱が恋しいと思う時がある。
太陽ですら温められない自分が何故熱を欲しがるのかわからない。
だが、その熱はひどくシャドウを安心させた。
そのまま熱に塗れ気絶するように、四肢をだらりと床に預け眠りに落ちる。
―ここ・・・は・・・。
シャドウは夢の中で目を覚ました。
シャドウ自身、これは夢だと気付いる。
夢の中は静かな泉の上のように、果てのない空間が広がっていた。
太陽は当然ない。
虚無の闇が広がり、音すら静止した、あのピンと張るような音しか聞こえない。
暗闇しかない、淋しい光景だった。
―俺・・・1人・・・?
シャドウは辺りを見渡す。
どこを見ても闇の中、そこに、ぼぅっと幽霊のような人影が現れた。
人影はだんだん輪郭を現していく。
人影は最後に残った名を持つ者だった。
―ヴィオ・・・。
シャドウは答えるはずないと思いながらも声を掛けた。
案の定、夢の中のヴィオは反応を返さない。
ただ、じわりじわりとシャドウに近づいていく。
お互い手の届く距離まで来て、ヴィオは歩みを止めた。
その手には、黒いフォーソードが握られていた。
フォーソードは本来光り輝くものだが、シャドウの夢の中に光はない。
よって、ヴィオのフォーソードも黒くなっていた。
―ヴィオ。
シャドウがもう一度呼ぶと、ヴィオはそっとシャドウを抱きしめた。
その身体から体温は感じられない。
他者の体温というものをシャドウは知らない。
知らないものを夢ですら出すことはできなかった。
無防備なシャドウの頭の後ろにヴィオは腕を回す。
優しい抱擁のように見えた、が。
とすっ。
軽い音を立てて、ヴィオの黒光する剣はシャドウの胸を貫いた。
ちょうど、先ほどシャドウが紫色の実を潰すのと同じような感覚だった。
剣はずぶずぶと沈み、シャドウの身体を貫通する。
シャドウの背中から生えた剣を、ヴィオはシャドウの頭にやっていた手で撫でた。
剣に一切の血は付いていない。
―ヴィオ、・・・・・。
シャドウは言葉が続かなかった。
口からは細い息が漏れ、身体の力だが段々と消えていく。
シャドウは重たくなった自分の頭をヴィオの肩に乗せた。
ヴィオは避けることなく、剣を握り、そして撫でている。
声が出ないことを悟って、シャドウは大きく息を吐き、瞳を閉じた。
胸に刺さったままの剣に身を委ね、すっと足の力を抜く。
身体は剣をすり抜け足元が湖のように波紋し、シャドウだけがその闇の水へと落ちて行った。
「ぅ・・・・・・」
冷たい石の床の上で、シャドウは身じろぎする。
億劫そうに身体を起こし、辺りを見回した。
胸を撫でながら、自らの鼓動を確かめる。
僅かに慌ただしい拍動。
「・・・生きてる」
しばらく鼓動を感じた後、シャドウは窓へ向かった。
空には綺麗な満月が闇に穴を空けている。
ピィィ、と指笛を鳴らし、木々が揺れるのを感じた。
「待ってろよ・・・ヴィオ」
シャドウは木の葉の様に窓から飛び降りる。
地面と衝突することもなく、下から飛び上がってきた飛竜がシャドウを受け止めた。
「行き先は迷いの森だ。勇者が・・・ヴィオがいるところに」
飛竜は低い声でうなると空高く舞い上がる。
シャドウと飛竜が、魔女の様なシルエットで月に写った。
「・・・帰りにヴィオを乗せて帰るんだからな、飛ばしすぎるなよ」
従順な飛竜は少々不機嫌そうに声を上げた。
だが、すぐにシャドウに進めと命令される。
「俺だけだと軽いだろう?お土産とでも思え」
クルクルクル、と不思議な喉を鳴らす声を上げて飛竜が首を伸ばす。
まだ納得しかねるらしい。
「お前もすぐに気にいる。俺に、似ているんだから」
宥めすかし、ようやく飛竜は納得したらしい。
しぶしぶ勇者のいる森へと翼を羽ばたかせた。
fin.
ブラウザバックでお戻り下さい。