ピ、とパネルの上の数字が23:00を示す。
そのパネルの下のソファーには、子狐が眠っていた。
子ども特有のくぴーと聞こえてきそうな寝息が部屋に溶ける。
横を向いて寝ているせいか、しっぽがソファーの外に垂れていた。
不意に、キィ、と部屋の奥のドアが開いた。
ドアの奥からは寝巻きのズボンにシャツ一枚羽織った狐が現れた。
髪に耳、しっぽはしっとりとして顔は赤く血色が良い。
いつも付けている黒いサングラスはしていなかった。
今の姿はラフというか、風呂上り全開な格好である。
そのまま冷蔵庫に向かい、オレンジジュースのボトルを取った。
キュ、とフタを取り注ぎ口に口がつかないように飲む。
行儀の悪い事だが、コップを使うのが面倒だった。
喉を潤した後は何事も無かったかのようにボトルを戻す。
さて、と子狐の方を向き、名前を呼んだ。
「フォックス」
返事は寝息で返ってくる。熟睡してます感100%。
起きる気配がない事を確認し、足音を立てないように近づいた。
別に泥棒の様に抜き足差し足をしているというわけでもないが。
よく寝ている子狐を、そのまま通称お姫様抱っこで持ち上げる。
ああこの子も重くなったなぁ。
最初に抱いた時は腕の中で潰れそうな位だったのに。
いつの間にかこんなに成長していたんだな。しみじみ。
心の中でわが子の成長に嬉しさを感じつつ、足を進める。
この時は抜き足差し足。なにか間違ってる父さん狐。
子狐のベッドに無事到着し、そっとベッドに寝かせた。
可愛らしい寝顔に写真でも撮りたいなとかちょっと思ってしまう。
でもそんなことをしたら起きてしまいそうなので我慢をした。
ベッドから離れる前に、そっと一言。
いつも苦労をかけてすまないな、と消え入りそうな声で呟いた。
子どもに言う台詞じゃないよな、と自分で思いつつ事実を噛み締める。
苦労をかけているのも事実。これからかけていくのも事実。
「おやすみ、フォックス」
小さな額に軽く口付けて、静かに部屋を去った。
もう自分も寝なくては。明日からまた仕事だ。
寝坊したら皆から『ジェームズ、遅いぞ』と叱咤を受ける。
のそのそと自室のベッドに潜る頃には、自分の身体は冷めていた。
フォックス抱いて寝たいなぁ。
抱き上げた時のフォックスは温かかった。
子離れできない親みたいなことが頭をよぎる。
あの子はもう一緒に寝てくれる歳でも無いだろうに。
少し淋しくなりながらも眠りに落ちた。寝つきは悪くない。
今夜、いい夢が見れますように。可愛い我が子にも。
その頃の『可愛いわが子』はというと。
「一緒に寝てくれないんだぁ・・・」
途中で起きていたりする。
でも寝たふりして運んでもらった。計略です。
頭の中では後で向こうのベッドに忍び込みに行こうとか。
朝になって父さんが起きる前に抜け出せばいいやとか。
可愛い子狐は随分したたかなことを考えているのでした。
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+エゴイスト+
『ちょっと待っててくれ』
俺がそう言ってから10分も経っていないだろう。
教室に行って、忘れていたノートを取りに戻っていた。
その短い間なのに―――。
「なんで寝ちゃってるかなこの狐は」
階段を下から3段ほどの登った位置で親友が眠っていた。
1段下から顔を覗き込むと、規則正しい呼吸が聞こえる。
時折ぴくぴくっと狐の耳としっぽが揺れた。
「・・・・・・・」
また夜眠れなかったのだろうか。
それとも夜中に目が覚めてしまったのだろうか。
何であれ複雑な家庭環境にいる親友に、悩みは尽きない。
「いつでも話し相手になるっていってるのに」
ぷに、と眠りこけている狐の頬を押す。
弾力のある滑らかな肌は若い証拠だ。
「少しは頼ってくれてもいいのになぁ・・・」
押してた指を離して俺は自分のカバンを手に取った。
ノートを納めて、親友に向き直る。
親友は起きることなく瞳を閉じていた。
「こんなに無防備で・・・」
俺は親指の腹に中指の爪をくっつけて、それを親友の額に持っていく。
「たまには俺のエゴに気づけよ」
何でもするよ。
いつだって話し相手にもなるよ。
迷惑なんかじゃないから頼ってもいいんだよ。
優しい言葉をかけて、眠っている君の隣に座って枕にもなるよ。
だって、僕は、君の―――。
「フォックスは俺の友達なんだから」
バチンッ!という乾いた音と共にフォックスの情けない悲鳴が響いた。
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眠っている、のか。
たまたまリビングに酒を取りにきたウルフはそう思った。
眠っているのは仲間のレオン。
低反発クッションを枕代りに、黒のソファーに全身を乗せて横になっている。
生きてる、よな。
レオンは時折生きているのか死んでいるのかわからないような顔で眠っている。
まるで自分もこの部屋の家具のように、存在を薄めてしまうのだ。
何かいるのに何もいない。
透明人間のようだが、カメレオンだから仕方がないのかもしれない。
ウルフはそっとソファーに沈んでいるレオンに手を伸ばす。
わずかな呼吸の流れを掌に感じて、安堵の息を洩らした。
生きてる。
手を放そうとしてうっかりレオンの頬に指が触れる。
元々敏感なレオンは間を置かず、反射的に目を開いた。
猛禽類に近い鋭い瞳が一瞬でウルフを捉える。
「・・・ウルフか」
「こんなところで寝てると身体痛めるぜ」
「ああ。起きよう」
レオンは今まで眠っていたとは思えないほど軽々と起き上った。
そのままソファーに座り直すと、ウルフもその横に腰掛ける。
「そんなに疲れてたのかよ」
レオンがスターウルフ以外に、スナイパーとしての仕事をやっていることを知っている。
今更その仕事にどうこう言うつもりはないが、あんなに油断しきった状態になるまで疲れているのは問題だ。
「不意に眠くなったのだ。身体に不調は無い」
「そうか・・・なら、いいけどよ」
眉を顰めるウルフに、レオンがクククッと喉の奥で笑う。
心配したのに笑われたウルフは益々眉間にしわを寄せた。
「なんだよ、いきなり笑いやがって」
「いや・・・次は保護色を使って寝ていようかと思っただけだ」
「馬鹿が。俺の前でまで姿隠してどうする」
吐き捨てるように言うウルフに、レオンは再度笑った。
「俺はもう行くぜ。次は部屋で寝ろよ」
「ああ。分かっている」
酒瓶をひっつかんでリビングを出ていくウルフをレオンは微笑を浮かべたまま見送る。
「私は起きていたし、生きているぞ」
心配されるのも、悪くない気持ちだ。
レオンは軽くを頬を撫でるとリビングを出るべく立ち上がった。
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憎い男だと思う。
ジェームズは常にサングラスをつけていたからあまりその瞳を覗いた事などない。
宇宙でサングラスが必要とは思えなかったが、奴は大層それを気に入っていた。
『恰好良いだろう?』
そう言われて、軽い皮肉を言い返した記憶がある。
『サングラスは良くても、かけてるやつが駄目だ』
『だがウルフがかけたらそれこそ怪しい人100%じゃないか』
狐野郎の正直なその頭と口にストレートの拳をぶち込んだ。
『痛ぁぁっ!』
『なんで顔面殴ったのにそのサングラス落ちねぇんだ・・・?』
『私が似合うからじゃないか?』
『もう一発ぶち込んで試すか』
『待った!!ウルフのパンチは痛いから!本当に!』
ぴゅっと俺から去っていくジェームズに、俺は振り上げた拳を下ろす。
風のようにどんなところでもすり抜けていくような素早さ。
『ウルフ!』
俺から10mほど離れた場所でジェームズが振り返った。
大声で人の名前を呼ぶな、みっともない。
そう言おうと口を開いた瞬間、ジェームズがサングラスを軽く上へと持ち上げた。
ほんの僅かにだが、ダークグリ−ンの瞳が垣間見えた。
『世界は眩しいな!!』
サングラスを元の位置に戻して、ジェームズはまた駈け出した。
そんな理由でサングラスをかけているのか、と一瞬呆れた。
こんな薄汚れた世界が眩しいなど、どうかしている―――。
「だから・・・こっちに俺がいるんじゃねぇか」
「ウルフ?」
名前を呼ばれて俺ははっと飛び起きた。
少し離れた場所でレオンが俺を訝しげに見ている。
昔の、よりによってあの狐の夢をみるなんて、どうかしている。
「どうした?」
「あー・・・寝言だ、なんでもねぇ」
「そうか」
何事もなかったかのようにレオンは目をそらした。
この男も俺と同じ。
暗い宇宙の裏側で動くもの。
俺はゆっくりと視線を巡らし、基地の窓から外を見た。
真っ暗な宇宙で、奴は一体何の光を見ていたんだろう。
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夕方だというのに日は落ち、風が冷たい。
街は煌びやかなネオンで輝き、顔を上げれば眩しいほど。
街灯にはカラフルな色のイルミネーションが波状している。
道行く人は幸せそうだったり、仕事に疲れていたり様々だ。
師走を行く人々をさらに急がせるように追い風が吹いた。
人波に乗るようにして駅の西口に着いた。
西口にはイルミネーションのホワイトが張り巡らされた大きな鳥かごのようなものがある。
大人が2人ぐらい入ればきつそうなかごに悠々と入る。
東側は見えないけれど、北側には光るサンタクロース。
南側には噴水がライトアップされて幻想的な雰囲気で仕立てられている。
最後に中央を見れば大きなクリスマスツリーがドレスのように着飾られていた。
天辺についた大きな星が、無数の恋人達を見守っている。
「・・・フォックス」
「あ、ビル」
「早く出てこいよ、恥ずかしいだろ」
「え、なんで?」
「なんでって・・・」
冷たい風に寄り添う恋人たち。
頭上を星よりも照らしまくるイルミネーション。
どうにも一人だと居心地の悪いクリスマス前。
なのに待ち合わせた友人は堂々と『そういうモノ』の中でくるくる回っている。
鳥かごの中の風見鶏かと、ツッコミたくなったが黙っていた。
幼児じゃあるまいし、恋人の集いの場では彼が妙に目についた。
「やー、周りはホント、恋人だらけだね」
「そうだなー、ていうか早く出ろって」
「いいじゃん、きれいだし」
「そういう問題じゃない!」
クリスマスにも帰って来れないフォックスの父親。
アカデミーは連休がうまく続いたせいで例年より早い冬休み。
一人ではケーキも食べる気にならないといったフォックスが気になった。
どうせ家にいても仕方ないと、ビルはフォックスの家に泊まりに行くことにしたのだ。
「ケーキと食材買いに行くんだろ?」
「あ、もう買ってきたよー」
フォックスはお祭り準備万端です!な顔で笑った。
「じゃ、早く行こう。いい加減寒い」
「はいはーい」
乱れたマフラーを直してフォックスが鳥かごから出る。
鳥かごに入った小さな子狐がようやく出てきた。
ビルはフォックスの横に並んで歩き出す。
「クリスマスに男2人ってなんかさびしいな・・・」
ぼそりと呟いたビルに、フォックスは苦笑をした。
「俺はビルといた方が楽だけどなー」
「・・・は?」
「だって女の子とか『彼氏に何買ってもらおうかなー』とか言ってたし」
「ああ・・・」
クリスマス前のアカデミー。
色めいた声を上げて女の子達がはしゃいでいた。
プレゼントはあれがいい、これがいい、と盛り上がる話が聞こえた。
親に買ってもらうのか、恋人に買ってもらうのか。
なんにせよ、嬉しそうな顔をしていたのを覚えている。
「男2人だと気を使わなくて済むよ」
「まぁな・・・じゃあ、男2人でケーキでもつつくか」
「うん。今回は超力作なんだ!」
「・・・え、フォックスが作ったのか・・・?」
言った通りフォックスの家ではフォックスの手作りのクリスマスケーキがあって。
見よう見まねと言いつつ、雑誌と瓜二つな出来栄え。
ホイップクリームをつるりと塗られ、苺が均等に乗っかっていた。
中心より少し右上にサンタと雪の積もった小さな家がちょこんと佇んでいる。
ナイフを入れるのが惜しいぐらい、小さいけれど可愛いケーキ。
「お前・・・何でもできるよな、本当に」
「えへへー。来年は父さんに作ってあげたいからね」
「そう・・・・」
ビルの脱力は気づかないまま、フォックスはさっくりとケーキにナイフを入れた。
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(フォックス)
それはフォックスがスターフォックスのリーダーとして母艦に入った日のことだった。
母艦の中は誰もいない静けさで冷たい空間が広がっている。
足音すら長く響き、点けたライトも不規則に点滅していた。
今まで管理されず使われていなかったのだな、とホコリを散らしながら思う。
「よし・・・やるか!」
ぎゅっと頭にバンダナを巻き、身体にエプロン、手には雑巾とハタキ。
グレートフォックスの大掃除、開始である。
「よし、まずは・・・台所からだ!」
ペッピーが多少片付けていたのであろう、物は少なく大分すっきりしていた。
汚れを落としておくべく、重曹などを使って細やかに掃除をしていく。
良い調子で約4時間後。
艦内の構造も大体把握し、残すは自室となる部屋の前に立った。
前の使用者は父、ジェームズ。
フォックスは深呼吸をして、いつでもドアから避けれるように構えた。
「そぉっと・・・」
ジェームズは愛情深い父ではあったが、家事ができたかといえばせいぜい人並み。
疲れていればそれなりにずぼらな所もある。
そして散らかす時はハンパ無く散らかす特性があった。
だからこのドアの向こうが腐海だとしてもありえない話ではないのだ。
「だぁっ!」
勢いよくドアを開いたものの、物が落ちてくる気配は無い。
思いの外、部屋は整頓されていた。
だがペッピーは手をつけなかったのであろう。
乱れたベッドのシーツに椅子にかけたままの服。
机の上に置かれた家族の写真と予備のであろうサングラスがホコリ被っていた。
「父さん・・・」
換気扇を回しながらフォックスはサングラスと写真を見詰める。
父親に抱えられている写真の中の自分は随分と幸せそうだった。
「・・・まずは棚の中から整理していくか」
活を入れなおし棚を開いた瞬間、津波の如くアルバムや写真が降り落ちてきた。
「ぶわっ!?」
どさどさと振り落ちる重いもの。
舞い散り地元を埋めていく軽いもの。
フォックスは慌ててベッドにダイブすると、津波が収まるのを待った。
「父さん・・・詰め込んでたな・・・」
はぁ、と溜め息を吐き近くにあったアルバムを手に取る。
表紙を捲って、ピタリと手が止まった。
「これ・・・俺じゃん・・・」
フォックスは他のアルバムを取って急いで中を捲る。
2冊目、3冊目・・・そのほとんどが家族のものだった。
落ちてきた写真の殆どにもフォックスが映っていた。
きっとジェームズは何度も手に取って眺めていたのだろう。
中には端が擦り切れた写真もあった。
「こんなに写真・・・撮ってたんだ」
フォックスはジェームズと幼い自分の写った写真を見て、懐かしい笑みを浮かべた。
データを取っておけばよい事なのにわざわざ写真という形に残している。
きっと写真からでも家族に触れたかったのであろう。
フォックス自身、パペトゥーンの実家の自室には家族の写真を飾っている。
「父さん若いなぁ」
年を感じさせない父ではあったが、こうして見るとより若々しい。
ただグレートフォックスのメンバーの写真は少なかった。
ぺらぺらと捲っていくと結婚の時の写真が見つかった。
「・・・母さん・・・!」
若く美しい純白のドレスを纏った女性。
その隣にはきりりとしながらも顔の赤い父の姿。
絵に描いたような幸せとはこういう事を言うのだろう。
きっと将来もこのまま2人でいられると思っていたのであろう。
今では誰も、いなくなってしまった。
「・・・・・・っ・・・・・大丈夫だ」
ひゅっと息を呑み、零れそうになる胸の痛みを堪える。
静かにアルバムを閉じて、それからは全く開く事無く黙々と作業を進めた。
使用に耐えるぐらい掃除を終えた頃、フォックスは机の前に立った。
そこに置いたのは銀色の縁をした、空のフォトフレーム。
「仲間が出来たら、きっとたくさん残すよ」
今は一人。
仲間が出来て、それからまた一人になる頃見るために。
「一人だって、怖くない」
フォックスは空のフレームを残し、部屋を後にする。
近い内に、そのフレームはきっと埋まっていることだろう。
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