道中前を歩きながら気配が離れるのを感じ、ぱっと後ろを振り返った。
10歩以上離れた所にクロノアが立っている。

「クロノア、何してンだ?行くぞ」
「あ、ごめんガンツ。そこにきれいな花が咲いててさー・・・」

謝りながらこちらに駆けてくる子ども。
長い耳は後ろになびき、邪魔ではないかと思う。
横に並ぶまでもなく歩き出す自分に、先程と同じようについてくる足音。

目を細めるような眩しい太陽の光。
雨期を感じさせる風。
芽吹きだす緑の香り。
一人ではとても気にしなかった変化達だ。

「もー!ガンツ聞いてる!?」
「聞いてねェよ」

それを逐一伝えてくるクロノア。
あの花は蜜が甘いだとか。
そろそろ夏草の実る時期だとか。
幼い声が春の先の風のように弾んで響く。

「さっさと歩けっての」
「分かってるよ、ガンツ早いんだもん」

歩幅が違うから当然歩くスピードも違う。
同じ歩幅にするつもりもなければ、スピードを緩めるつもりもない。
このぐらいで歩かなければ今日は野宿になるかもしれないからだ。
夜になってまで幻獣と一戦交える気はない。

不意に、また気配が消える。

振り向けば地面に転んでいるクロノアの姿。

「・・・何してンだ」
「・・・痛い・・・」

起こしてくれと言わんばかりに出された手を、仕方なく掴んで引き揚げる。

「足捻ったりしてねぇだろうな」
「うん、大丈夫」
「どうせよそ見でもしてたンだろ」
「う・・・ちょっと向こうの花を・・・」

クロノアの指す方向には濃いピンク色の5枚の花弁で咲いた花が直立していた。
風に揺られやや斜めになるものの、芯がしっかりしているのかまた太陽に向かって伸びている。

「あの花って確かゼラニウムだっけ?」
「・・・四季咲きのは、そう呼ぶな」
「へぇ。じゃあ他にも名前があるんだ」
「いいから行くぞ。道の真ん中で突っ立ってる場合じゃねェ」
「はーい。ガンツはせっかちなんだから」
「・・・野宿してェならテメェだけゆっくり来やがれ」
「ええー!?嫌だよ僕も一緒に行くってば!」

歩き出したオレの後ろを追いかけてくる。
気配は離れていないけれど後ろを振り返れば彼と花が視界に入る。

「思いがけない出会い、か・・・」
「え?」
「花言葉ってやつだ」

追いついたクロノアがこちらを覗き込むように訊いてくる。
花言葉など、昔読んだ本に書いてあった些細なことしか覚えていない。

「じゃあ向こうのは?」
「あー?あれはな・・・」

知っている限りのことをとくとくと語りながら歩く。
後ろにいたはずの子どもは、気が付けばオレの隣に並んでいた。
違和感はあったが、にこにこと笑うクロノアの顔を見ているとどうでも良くなってくる。

「あ、向こうにもゼラニウムがある」
「そういえばゼラニウムには種類によって他のにも花言葉があるンだったな」
「へぇ、どんなの?」
「あのな、全部覚えてるわけじゃねェよ」

なーんだ、と唇を尖らせるクロノアを軽く小突きながら思い出す。
季節がもう一巡りする直前ぐらいに咲くゼラニウムの言葉。

「ねぇ知ってるのでいいから教えてよ。ガンツ意外と物知りだし」
「テメェがモノを知らなすぎるンだよ」

もうひとつの花言葉は『君在りて幸福』だった気がする。
そう告げればクロノアは同じように子どもながらの感心した顔を見せた。

「なんか、ボクらには『思いがけない出会い』って方が似合ってる」
「まぁ、まだ一か月しか共に旅してねェしな」
「でもいつかそう思えるようになるといいね。ボクもガンツも!」

クロノアとしては何気ない言葉なのだろうがこちらとしてはむず痒く感じる。
君在りて幸福、などと大仰なことを思うようなる日など来るのだろうか。
頭の片隅で考えていると横でクロノアがポンと手を打った。

「そうだ!どうせならくっつけちゃえばよくない?」
「ハァ?何をだよ」
「だから『君在りて思いがけない出会いに幸福』みたいな!」
「バカ、それじゃ意味が変わってくるだろ」
「そうかなぁ・・・君が在って幸福だから、出会えたことも幸福なんでしょ」
「・・・お前、オレと出会えて幸福なのかよ?」
「え、うーん・・・そうだなぁ・・・」

真剣に悩むクロノアに訊いたオレがバカだったと思う。
呆れながら歩幅を元に戻し、すたすたと先へ行った。

「あ、ちょっと待ってったら!」
「急げ」

振り向かずそのまま歩けば後ろから駆けてくる足音。
横に並ぶかどうかの所で飛んできた言葉が、見事にオレの足を引き留めた。

「ガンツ、ボクは幸福だよ!」

そのままびゅんとオレを追い抜いていく、長い耳をはためかせた小さな風。
その背を暫し呆然と見届け、オレは慌てて後を追った。



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今日着いたばかりの新しい街はまだできて年月が浅いらしい。
目新しい建物が並び、ハイカラな名前の店が並ぶ。
買い出しを済ませ、本日の宿に戻ってきたガンツは部屋の前でノックをした。

「クロノア、入るぜ」
「あ、おかえり、ガンツ」

部屋のカギは開いたままだが、特に文句は言わない。
まだ日も暮れてはいないし、クロノア自身気配ぐらい読めるようになってきているからだ。

「クロノア、何してんだ?」

荷物を置き、机に向かったままのクロノアに声を掛ける。
何か熱心に手を動かしているようだ。

「んー?じいちゃんに手紙出そうと思って」
「・・・そうか」

ふいにガンツはこのちびっこには家族がいる事を思い出した。
あんまりにも連れ回しているからうっかり忘れ去っていたのだ。
何より手紙というものをろくに書いたことのないガンツはその内容すら思いつかない。

「・・・なんて書いてンだ?」
「え〜秘密。普段の事とかだよ」
「『相変わらずトマトが食べれません』とかか?」
「もう!野菜ジュース飲めるからいいの!」

一度だけクロノアが振り向いて頬を膨らませる。
いつもどおりのクロノアだ。
だが彼は『家族』のいるクロノアである。

「何で今更手紙なんか書いてンだ?」
「だってそろそろガンツと旅に出てから1年経つから」
「・・・早ェな、もう1年か」
「そうだよ。だからじーちゃんに伝えておこうと思って」

まさか、帰るとか、戻るとか。
そんなじゃないだろ、と言いかけた唇が乾いて声にならない。
くるりとクロノアが机に振りかえる。
ペン先をインク瓶につけて、ガリリと文字を綴った。
ドロ、と油っぽい汗が手袋の中の手から滴る。

「もう少し旅を続けるねって言っとかないと」
「・・・そーかよ」

引っ張り回してるくせに、戻る場所があるクロノアが離れていくことを止めることはできない。
多大なる安堵と同時に、彼の家族に少し悪い気がした。

「ねぇ、もしボクがじーちゃんの所に戻るときがきたらさ」

安堵した途端のこの言葉。
戻るなど、まだ早い。先の話だ。

「ガンツ、手紙出してくれる?」

――話したくない。

「・・・めんどくせェ」
「・・・そうだよね」

きっと今顔を上げさせれば、笑っているんだろう。
ガンツならそう言うと思ったよ、と知った風な顔を浮かべて。

「もし近くに来る事があったら家に寄ってね」
「ンな暇があったらな」
「一晩タダになるのに」

話しながらでもガリガリと紙に文字が綴られていく。
どうしてもそれが気になる。
何を書いているのか。

「よし!できた!!」
「ほォ」
「あっ!ちょっと!!」

バンザイの要領で掲げられた手紙を後ろから素早く奪う。
慌ててクロノアが手を伸ばしてきたが、生憎身長はガンツが上だ。

「何々・・・」
「ガンツってば!返してよー!」
「・・・、・・・うるせェな、手紙ひとつで」

ほらよ、と返してやればクロノアは大事そうにそれを封筒へ包む。

「ガンツのスケベ、エッチ」
「大した事書いてねェだろ」
「そうだけどっ!プライバシーなの!」

顔を赤くして怒鳴るクロノアにガンツは上機嫌で相手をする。
文面の全ては読み切れなかったが、最後の一文で全てどうでも良くなったのだ。

「クロノア、宿の下行って手紙預けて来いよ。朝イチで出したいだろ」
「え、あ、うん。じゃあ出してくる」

しっかり糊付けされた手紙を持ってクロノアが部屋を後にする。
途端にがらんとした部屋で一人、ベッドにダイブした。

『新しい所に行くのが楽しい』
『ガンツと一緒だと楽しい』
『毎日がすっごい思い出になってる』

「すっごい思い出ねェ・・・」

特別な事をしたつもりはない。
ただクロノアがいる事が当然の毎日を過ごしてきただけだ。
怒って呆れて笑って戦って疲れてメシが美味けりゃ良い日常。
その中で幸せとか楽しいとかを、クロノアは見出しているのだろう。

それはきっと自分も同じだったに違いない。

自然とにやけてしまう口元を押さえながら、喉の奥で笑う。
もうしばらく彼を家に帰せそうにはないな、と間抜けに破顔した顔をシーツに押し付けた。



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