+不安な夜+
張り詰めるような冷たい風の走る夜。
開きっぱなしの窓から月は猫の爪のように細く曲り、金色とも白ともつかないような色で輝いている。
遠くから聞こえる虫の声以外、暗い部屋の中は妙に静まり返っていた。
案外、静かなのは自分の心かもしれない。
スネークは自嘲気味に笑った。
ズンと空気を石に変えたような重みが周囲を支配している。
不意に、腰かけているベッドが軋む音を鳴らした。
まるで自分を拒絶しているようだ、と眉を顰める。
だが、今段ボールの中に閉じこもっては手の中のものが見れなくなる。
スネークの手の中には、使い込まれたナイフが納まっていた。
血の滲んだ跡を持つナイフは月明かりに照らされ、電球も点けていない部屋で鈍く光っている。
ぼんやりとナイフを見ている内に思い出すのは過去のこと。
硝煙、銃声、悲鳴、警報、血飛沫・・・・。
そのどれもが、自分を疲れさせる。
失ってきたものを鮮明に思い出させる。
こんな日は、段ボールに詰まってでも寝てしまった方がいい。
頭で分かっても、その頭が思い出すことをやめない。
重い心境が泥のように身体から流れ出し、部屋一体を蔓草のように巻きとめていた。
「俺らしくもない・・・」
戦場でならなんでもやってきた。
戦士だから、誇りを持って任務を遂行する。
そう、それだけで、いい。
時折脳に触れるビジョンがある。
自分が今まで倒してきた兵士のように、訳もわからない内に頭を銃で撃ち抜かれること。
爆弾を隣の空間に投げられて吹き飛ぶこと。
ナイフで心臓を突き刺されること。
そして血を吐きだしながら床に崩れ落ちる自分。
死に直結するビジョンなどいくつでも浮き上がる。
なのに、自分は戦場の生死の堺でないと生きていることを確認できない恐怖が勝る。
「鬱病患者か、俺は・・・」
溜息を思い出して、煙草に手を伸ばす。
リンクが子どもの近くで吸うなというから、最近あまり吸えなかった大人のシャボン玉。
幸い窓は開けっぱなしだ、匂いも残るまい。
スネークはそう思いつつ、一本目を口に銜えて点火した。
苦味のある気体が肺まで滑り落ちる。
自分は最高の戦士として造られた人間。人間と呼べるかも怪しいものだ。
それでも、人並に煙草を嗜めるということは幸せなのかもしれない。
安いものだと思いつつ、ゆっくりと一本目を吸い終える。
じゅう、と靴の裏で消してゴミ箱に放る。灰皿への手順を省くのは、いつものことだ。
もう一本、と手を伸ばした所に部屋が突然暗くなった。
その瞬間、風と共に舞い入る者が一人。
「・・・・・・あ」
「こんばんは、スネークさん」
ぱささっと翼を震わせてスネークの前にピットが降り立つ。
暗かった部屋はピットの翼が月をより透視するせいか、先ほどよりも不思議と明るくなった感じがする。
「ピット・・・まだ寝てなかったのか?」
「ちょっと眠れなくって・・・スネークさんは?」
「・・・俺もだ」
にこにこと笑うピットの前に、スネークはさっきまで考えを放置した。
兵士への懺悔ですらない、未来の自分へのビジョン。
それをピットに話すのはなぜだか憚られた。
「あの、何も無しでお邪魔するのもなんだったので・・・これを」
おずおずと差し出された天使の腕にあったものは、2本のワインボトル。
ご丁寧にグラスまで持ってきている。
ふっと思わず自分に正直な笑みが漏れてしまう。
「いただこう・・・しかし、ピットはどうやってこんなにワインを仕入れてくるんだ?」
「親衛隊に皆がよく送ってくるんです」
「親衛隊・・・ああ、あれか」
ステージにわらわらと突っ込んでくるイカロスの兵士。
一発玉砕とはああいうのだろうかとガードしながら思ったものだ。
「隊長思いなんだな」
「向こうではワインは『薬』みたいなものですから」
くすくすと笑う様子はまるで子どもだ。
こんな子どもが武器を握っているのかと思うと、多少不憫にも思えてくる。
だが、ピットが倒しているのは悪とはっきりわかったもの。
自分とは、違う。
煙草を握りかけていた手をほどいて、ピットの柔らかい紅茶色の髪を撫でる。
普段羽を撫でているせいか、ピットは『ん?』とした顔をしたがすぐに大人しくなった。
「スネークさん?」
「ん、すまん。手触りがよかったから、つい」
「朝は寝ぐせで困ったりしちゃうんですけどね、髪」
ふるふると頭を振るって、羽を軽く震えさせる。
震える様が小動物、いうなればひな鳥のようで可愛らしかった。
「飲みましょうか、スネークさん」
「そうだな」
ピットの手からグラスを受け取る。
その際、ちょんと指先が触れあった。―――その、冷たさに驚いた。
グラスを脇に置いて、ピットの手を掴む。
「どうした、随分手が冷たいじゃないか・・・長いこと外に出ていたのか?」
ピットは困った顔をしながら、小さく頷いた。
「どうにも嫌なことを考えてしまって・・・散歩したんですけど消えなくって・・・」
「嫌なこと?」
「自分が、いつか戦えなくなったらどうしようって・・・」
「戦えなくなる?」
スネークが顔を覗きこめば、ピットはしゅんと影を潜ませた表情になっていた。
「パルテナ様にお仕えするのが僕の仕事です。けれど、もし自分に力がなくなったらどうなるのか・・・それが、怖くて」
大事な人を守れなくなるのが怖い。
自分が無力になるのが怖い。
考えは死には至らないようだが、そんなことが怖いだなんて。
スネークは返答の代わりに、純真な天使の頭をわしわしと撫でた。
「わわっ!スネークさん!?」
「そんなこと、気にしなくていい」
「でも、不安になります・・・」
「不安がってたら守れるものも守れない。未来を心配するには、ピットは早いだろう」
この天使が自分と同じように、過去の亡霊にとりつかれることはないと信じるように。
決して大丈夫とは言えないけど、不安を持つには早すぎるから。
「ピットの大事なものは失われていない。皆で守っているんだから。そうだろう?」
「・・・はい」
何かを守るということは、幼い肩にはきっと重たいことであろう。
スネークは元気づけるようにぎゅっと手を握って、ゆっくりと放してやった。
ピットはお返しに、とスネークを包むように羽を伸ばす。
血の通った羽が背に当たって温かい。
これじゃヒナ鳥だな、と蛇は自分には合いそうにない形容を思いついた。
「スネークさん、ありがとうございます。元気が出ました」
「じゃ、ついでに『薬』も飲むとするか」
空のグラスを差し出して、2人で笑い合う。
不安な夜は、これでおしまい。
結局朝まで飲んでしまって、そのままピットを抱えて眠っていたらリンクが来て。
もちろんスネークを起こしに来たとかじゃなく、ピットが部屋にいなかったからまさかと思ってきたらしい。
そのまさか、とも言い切れない現状がスネークの部屋、つまり目の前に広がっていたものだから。
そこから先は想像するに難くない。
スネークは容赦なく繰り出される剣さばきや、どこからともなく撃ち込まれる無数の弓矢を避けながらの強制早朝ランニング。
傍らで眠っていた天使はそれに気づくことなく、蛇の巣穴で小さな寝息を立て続ける。
そして朝ごはんだよ、とフォックスが起こしに来るまで静かな眠りに浸るのだ。
「ピット・・・お前も守ってくれる人は多いようだぞ・・・」
勇者らによって朝から半死半生の目にあったスネークは、ぽつりと隠れ蓑の段ボールの中で呟いた。
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