「こんにちは、パルテナ様の鏡」
ずるり、ずるり。
『来たか・・・哀れな子よ』
ずる、ずる・・・。
「どうしたんですか?暗いですよ」
ずしゃ。
『我を割りにきた。望みを割りにきたのだろう』
「・・・ええ。もう、叶え続ける必要はありません。僕の愛した人は皆死んでしまいました」
『そなたは、孤独だ』
ピットはにこにこと笑う。
瞳の奥に、静かな悲しみを湛えて。
「僕の翼、真っ白になりましたよ。スネークさんが死んだ瞬間に」
ピットは真新しい記憶を思い出していた。
パルテナの葬儀の後、法王の座はトントン拍子にピットの元に転がりこんだ。
名目は『亡き先代法王の意思を尊重して』とのことだったがこれは鏡の力なのだろう。
忙しければ忙しいほど、時間の流れは速い。
あっという間に2年、3年とどんどん時が過ぎていく。
だがそれ以上のスピードで、スネークの肉体にも異常が起きた。
クローンとしての副作用で、老化が早まったのだ。
そして1年前から寝たきりの老人のように変わり果てていた。
「今日、スネークさんが僕の羽が見たいって言うから見せたんですよ」
『・・・・・灰色の翼』
「そっと羽に触って、『きれいだな』って一言言って、冷たくなってしまいました」
滑り落ちた手の感触を、今でも覚えている。
『・・・あれも、哀れな男』
「あの人を、蘇らすことはできないんですか?」
『それはできぬ。命に対価は存在せぬ』
「そうですか、じゃあもう、用は無いですよ」
ずるり。
先ほどからピットが引きずって持ってきたものは、大きな鉄鎚だった。
「もし鏡を割っても僕が法王だったら、僕は世界のすべてを天国に連れて行きます」
『・・・・・・』
「この世は、何なのでしょうか。地獄、なのでしょうか」
『人の世に過ぎぬ。地獄ではない』
親に捨てられ―。
身内に殺されかけ、命を狙われ奪い合い―。
愛する人を失って―。
何も無くなるこの世界―。
「確かに、地獄とは程遠いんでしょうね」
ピットは鉄鎚を振り上げる。
『いや―そなただけが地獄を歩く!』
鏡が唸る。
鉄鎚が鏡をに振り降ろされた。
激しく割れる音が辺りに木霊し、その破片がピットの身体や羽を貫く。
その内の大きな一枚の破片が、ピットの首筋を切り裂いた。
「最期の・・・抵抗、ですか・・・?」
ピットは笑った。
首から溢れだす赤が羽や服を赤く染めていく。
それでも何度も何度も破片すら粉々にする如く、鉄鎚を振り下ろす。
その度に割れて散って、ピットに鋭く刺さった。
「ああ・・・疲れたなぁ・・・・」
ピットは鉄鎚を放り出すと、その場にしゃがみ込む。
床は夕焼けの海のように見えて、ピットはゆっくりとそこに寝転んだ。
翼に赤が沁みこんで段々濡れて重くなる。
次第に、辺りの暗さが増していく。目を開いているのも、億劫に思えた。
「僕の罪は・・・生まれてきたことでも、羽が生えてることでも、人を殺したことでもない・・・」
真っ暗な世界で、独り言を呟く。
もうこの空間のどこが上でどこが下かもわからない。
「ただ、手に入らないものを・・・求めた、こと・・・・・・・」
巣から落ちた小鳥のように。
真っ赤になった天使は、ゆっくりと息を引き取った。
翌日、突如法王が行方不明になり、大聖堂の中は大わらわだった。
探しても探しても見つからず、一人の側近が法王の部屋に入った。
そこのベッドの下に隠すように挟んであったもの。
『羽の空』と書かれた本だった。
ぱらぱらと目を通す。
最初は無骨な文字だったのが、途中で子どものような丸っこい字に変わっている。
それが法王の字だと気づくのには少し時間がかかった。
最後の文字が書かれたページには純白の羽が挟まれている。
『僕は死神でした。』
その一文だけ、走り書きのように書かれていて。
するりと挟まれていた白い羽は音もたてずに床へと舞い降りた。
fin.
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