+The red moon of evil spirit+
赤い満月が漆黒の空に浮かぶ。
月の影は裂ける様な笑みを浮かべているように見えて、ひどく奇怪なものだった。
炎の塔の上部にあるシャドウの部屋。
部屋はヒノックスが4、5体いてもさほど窮屈とは思えないほど広い。
それだけ広い部屋に、今はヴィオとシャドウのたった2人しかいない。
「ヴィオ、遊ぼうぜ」
「今本読んでるから後にしろ」
ヴィオはベットの上で本に熱中していて、シャドウとは視線も合わさない。
シャドウとしてはそれが面白くなく、ソファーの上でずっとうだうだしていた。
「つれないぜ」
「元々だ」
「そんなにつれないと無理矢理にでも遊ばせるぞ」
「・・・後で遊んでやるから」
そう言いながらもヴィオの視線は依然、本に向けられたまま。
その様子にシャドウはソファーから立ち上がると、早足で自室から出て行ってしまう。
「・・・・・・」
ヴィオはシャドウの姿が部屋から出て行くのを僅かに見て。
その奥の赤く輝く月も瞳に入った。
「酷いよなぁ、ヴィオのやつ」
シャドウは闇の鏡の前で、一人ぼやいていた。
鏡なのに、中央に立つシャドウの表情までは上手く映してくれなかった。
「ヴィオの馬鹿」
ごろん、と鏡の前で寝転がる。
ふと、窓の奥の月が見えた。
「赤い・・・」
不気味で歪んだ笑みを浮かべた赤い月。
シャドウはしばらくそれに魅入っていた。
「ククク・・・ははは・・・魔の月だな・・・」
人間共を惑わす、怪しの月。
この光に負けた人間、恐怖を覚えさせられ操られる。
闇の者にとっては闇の鏡ほどではないが、力を与えてくれる屈折された光だ。
「いっそヴィオの心を操れたら・・・・・・なんてな」
反動をつけて身体を起こし、鏡を見る。
「あれ・・・?」
先程は表情さえ映さなかった鏡が、爛々としたシャドウの瞳だけ映していた。
今までにこんな事はなかったはずだと、シャドウは顔をもっと鏡に近づける。
シャドウは気付いていなかった。
異変を生じたのは鏡ではなく、自らの身体だということに。
「シャドウ、いるのか?」
ヴィオはゆっくりと闇の鏡の部屋へ続く階段を降りていく。
シャドウが拗ねて出て行った後、いい加減戻ってこないので様子を見に来たのだ。
しかし、いくら呼んでも返事が無い。
「シャドウ?」
「ヴィオ・・・」
やっと返ってきた声にヴィオはほっと息を吐いた。
シャドウは鏡を見ていて、ヴィオの方を向いてはいない。
ヴィオは自分に背を向けたままのシャドウへと歩み寄った。
「シャドウ?」
明らかに、シャドウの様子はおかしかった。
いつもなら、顔ぐらいこちらに向けるはずなのだが。
「いつまでも帰ってこないから迎えに・・」
「ヴィオ」
言いかけのヴィオの言葉をシャドウが千切る。
その声は温度を持っておらず、ひどく不安定に響いた。
「シャドウ?」
「なぁ、ヴィオ・・・」
「な、なんだ・・・?」
ぞくり、と身体中が逆立つような感覚がヴィオを襲う。
ヴィオの中で異常なほど高ぶった危機感が一斉に広がった。
「俺と遊ぼうぜ、もう本は読み終わったんだろ・・・」
糸に引かれる様にしてシャドウがヴィオの方へ振り返る。
シャドウと眼が合った、その瞬間、ヴィオは息を呑んだ。
「な・・・っ!?」
「どうした、ヴィオ・・・」
溢れ出る血の様に、シャドウの瞳の赤が増していた。
シャドウの浮かべる笑みは、純粋で。果てしなく黒く、狂気に満ちている。
「ククク・・・」
戦慄と狂気の瞳がヴィオを射抜く。
ヴィオは今すぐに、ここを離れなければならないと直感した。
なのに、足が動かない。動いては、くれない。
「シャ、シャドウ・・・」
「ヴィオ・・・遊ぼうぜ・・・」
「・・・っ!!」
シャドウの手がヴィオの首に触れる。
触れた指は冷たく、ヴィオは背筋に冷たい汗が流れるのが分かった。
呼吸が乱れ、心臓の音が強く響く。
ヴィオの青い視線だけが動き、ゆっくりとシャドウを追った。
「シャドウ・・・何があった・・・?」
カラカラになったヴィオの喉が搾り出すように声を出した。
シャドウは薄く笑みを浮かべたまま、ヴィオの言葉に答える。
「何も無い。遊ぼうぜ、ヴィオ・・・」
「な・・・・何を・・・・・?」
「そうだなぁ・・・赤が見たい・・・なぁ、見せてくれよ」
ぎっとシャドウの爪がヴィオの鎖骨の下の肌を裂いた。
ヴィオはその痛みに顔を歪ませる。反対に、シャドウはそれを見て笑みを深めた。
次第にその傷はぷつぷつ・・・と肌から滲むように赤を浮かび上がらせる。
「シャ・・・ド・・ウ・・・」
自分から流れる『赤』だけが、妙に生々しく、温かく感じられた。
だが、その熱でさえシャドウの舌が触れると、途端にただの液体になる。
ヴィオはこの状況から脱出する方法を考えた。
だがその思考さえ、シャドウの冷たい感触によって幾度も阻まれる。
閉じた目の奥が赤く、チカチカと光る。
「・・・っ・・・う・・・」
ヴィオは目を開いた。シャドウの奥には闇の鏡。そのさらに奥。
『赤』に光るものに気付いた。
あれは月だ。
闇の月が、闇を狂わしている。
光ならば操られるだけですむものを、シャドウは――。
「月が・・・落ちる・・・まで、か・・・」
冷気を含んだ息を吐いて、ヴィオは目を閉じた。
ただ、時間が早く過ぎるのを待って。
そう願いながら、知らない内に意識までもが闇に落ちていった。
「ヴィオ、ヴィオ!」
「シャドウ・・・?」
ぼんやりとヴィオが目を開く。
外からは僅かに明かりが入り、夜が明けた事を示していた。
「大丈夫か、ヴィオ!?」
「シャドウ・・・」
シャドウはヴィオを抱きかかえてひどく混乱していた。
瞳の色は元のワインレッドの色に戻っている。
戦慄も狂気もない、映っているのは血の気に引いたヴィオの顔。
「どうした、シャドウ・・・」
す・・・とヴィオの手がシャドウの頬を撫でる。
「ヴィオ、俺は・・・っ!」
ぐっと握られた肩に、さらに力が篭る。
その手にはちゃんと熱があり、ヴィオはそれが何故か嬉しく思えた。
「いいんだ・・・それより・・・」
「それより・・・?」
ヴィオは頬に伸ばしていた手を下ろして、肩にあったシャドウの手の甲を掴む。
「・・・いつまでも帰ってこないから迎えに来たんだ・・・」
あの時シャドウに千切られた言葉を、ヴィオは静かに紡いだ。
fin.