+Touch+
その日のネサラ様は、すこぶる機嫌が良かった。
それというのもシーカーの率いる部隊が襲った船に、たくさんの高価な品が積んであったから。
どうやらそれらが過去最高の売り上げになったらしく、ネサラの機嫌を良くしたのだ。
そんな折、シーカーだけが緊張した顔で廊下を歩いていた。
「はぁ・・・」
どくん、どき、どき、どくん。
整わない脈拍にシーカーは大きく息を吐く。
彼は今、ネサラのいる・・・浴室に向かっているのだ。
「な、何かまずいことがあったのだろうか・・・」
略奪は上手くいったはずなのだ。ニアルチ殿もネサラ様が上機嫌でお呼びであるだ、と言ってらっしゃった。
・・・怒られる、という事は無いはず。
シーカーはネガティブな考えで頭を一杯にしながらも、浴室に向かって足を進めた。
「シーカーです、失礼致します!」
シーカーは浴室の前で声を上げた。
城の浴室は2つに別れており、1つは羽を乾かすため上手く風が流れるように作られた部屋。
その奥に、溜め池と同じ要領で水が溜まる浴室がある。
ネサラがいるのは、奥の部屋だ。
「来たか」
「はっ!」
壁越しに聞こえるネサラの声に、シーカーは少し緊張を解いた。
怒っている声ではない。
「シーカー、入って来い」
「はっ・・・・・え?」
入って来い、と言うのは浴室の、奥の方の部屋に、という事だろうか。
「どうした?早く来い」
「は・・・・・・」
ぎこちない動きでシーカーは奥の浴室に入る。
浴室はせいぜい10人がやっと詰めて入れるほど広さ。
だが浴室は、王族専用のもの。その事を考えれば充分広い。
「お、お呼びでしょうか、ネサラ様!」
入り口から1歩入った所でシーカーは立ち止まり、直立する。その視線は、上。
シーカーがちら、と視線を奥に向けると、浴室だから当然なのだが濡れた身体のネサラが見える。
見える、といっても上半身だけなのだが。
シーカーは自分の顔が赤くなるのがわかりながらも、慌てて視線を上へと戻した。
「ああ・・・今回の略奪は上手くいったようだな。よくやった」
ぱしゃんと水の弾く音がする。
「お褒めに預かり光栄です!」
「せっかくだから、褒美をやろう」
「はっ・・・・・・・・・・・・・!?」
驚いてネサラの方を見る。見た途端、思わず鼻と口元を押さえた。
流石に鼻血が出そうになった、なんて言えない。
しかし、ネサラからこんな事を言うのは滅多に無い事。
千載一遇、とでもいうのだろうか。
「どうした?」
「い、いえ何でもありません・・・」
「そうか。で、褒美は何がいい?」
「え、・・・じ、自分が選ぶのですか?」
「なんだ、お前は何も望まないのか?」
「え、あ・・・・・・・」
唐突にそんな事を言われても、思い浮かばない。
自分の望むもの。・・・自分の・・・望む・・・。
「・・・ネサラ様に触れたい・・・」
ぽろ、と言葉が零れる。
ほんの小声だったのに、響きやすい浴室ではしっかりネサラに聞こえていたのだろう。
ネサラは目を丸くして、シーカーを見ていた。
「あ・・・もももも、申し訳ございません!!」
シーカーは即座に膝を折り、頭を深く下げる。
「・・・構わん」
「今のは単なる――・・・・・・・え゛?」
「来い」
ざぱっと大きく水音が上がる。
ネサラは惜しげもなく、濡れた身体をシーカーの前に晒した。
浴槽に腰掛け、足を組んで。
「ネ、ネサラ様・・・!?」
陶器のような白磁の肌。
濡れて艶やかな肢体。
美しく飾られた顔。
ごく、とシーカーは息を飲んだ。
「どうした?」
「あ、あの・・・・・か、風邪を引かれますから!」
シーカーは慌てて布を取ってくると、ネサラの肩に掛ける。
しかしその目はしっかり泳いでいた。
「・・・俺に触れるんじゃなかったのか?」
「え・・・あ・・・はい!お言葉に甘えて触れさせて、イタダキ、マス・・・」
最後には声が裏返ってしまったが、ここまで来たら引くことは出来ない。
シーカーは跪き、ネサラの足の甲に口付けた。
それは主君に忠誠を誓う兵士の儀式と良く似たもの。
辺りが沈黙に包まれる。浴槽に流れる水すら、音を立てない。
しばらくして、シーカーは唇を放した。
だがネサラの足の甲には何の後も残っていない。
本当に、触れるだけの口付け。
シーカーにとって、ネサラは不可触の王。
「・・・これだけでいいのか?」
「はっ・・・自分には、これで充分です・・・」
「欲がないな」
ふっと、ネサラの瞳が遠い所を見るように透いた。
誰を見ているか、なんて、容易に想像がつく。
「欲はあります。ですが・・・自分如きが・・・ネサラ様を汚したくないんです」
本当は、誰からもキルヴァスの王であるネサラを汚して欲しくないけれど。
シーカーは口惜しそうに瞳を閉じた。
「・・・シーカー、ここがどこだか分かっているのか?」
「・・・は?」
ネサラが突然シーカーの服を引っつかむ。
驚いて目を開いたシーカーの、最初に見たものは水だった。
「わ・・・っ!?」
2人の身体がもつれ合う様に浴槽に落ちる。
激しく立った水音は、浴室に大きく響いた。
「っは・・・」
「ぶはっ!ネサラ様!?」
ネサラは浴槽の底に座るようにして、身体を起こす。
シーカーも慌てて飛び起きる。少し、気管に水が入ったらしく、多少咽ていた。
「けほっ・・・ご、ご無事ですか!?」
「ああ・・・」
ネサラの無事を確認して、シーカーがほ・・・と息をついたのもつかの間。
シーカーは今、ネサラに圧し掛かるように浴槽の中にいたのだ。
「あ、あ、あ、・・・も、申し訳ございません!!!」
シーカーは濡れた服と羽が邪魔をして上手く立ち上がることが出来ず、混乱の極みに達する。
ネサラは溜め息を吐きながら濡れた前髪を掻き揚げると、シーカーの襟を自らに引き寄せた。
「ここは風呂場だ。汚れなんて分からないだろう」
「ネサラ様・・・」
シーカーのネサラの視線がぶつかり合う。
深い闇に魅入られるようなネサラの瞳。
どうしょうもないほど真っ直ぐで動かないシーカーの瞳。
ネサラとシーカーに顔が近まった瞬間。
「ぼっちゃま!いつまで浴室にこもっておられるのですか!?」
「え」
「あ゛・・・ニアルチ殿・・・」
この後、2人にニアルチの雷が落ちることは確実だった。
fin.
ブラウザバックでお戻り下さい。