ミツルは安らかに、ワタルの膝で眠っている。
眠っている顔は子どもなのに、とワタルは心の中でそっと思った。







ミツルは、覚えてないらしい。
幻界のことはほとんどと言っていいほど。
ボクとの、あの出来事も。





幻界で、何度目か分からない命の危機を感じた時だった。
振り子のような反動に釣られ、ボクの身体は宙に浮いた。
いつぞやのラウ導師サマが吹っ飛ばした時と似たような感覚。

でも、今度は違う。

確実に地面に落ちる、ということ。
キ・キーマとミーナの声が聞こえる。けど、なんて言っているのか分からない。
落ちてゆく身体に2人の声が追いつかない。
高い崖の端に立つミーナの姿を最後に、ボクの身体と意識は深い水に沈んだ。









目の前が暗い。いや、目を開けられない。
息が苦しい。喉の奥に水が張り付いてる感覚。
身体も、痛い。ギシギシと軋んでる。
きっと、川に落ちた時すごい衝撃を受けたのだろう。
ここは、どこ?


「ん・・・・」


ボクの唇に何かが触れる。
何?
誰?
何をしているの?

ぐ・・・と息を吹き込まれた。
これって、人工呼吸ってやつ?
結構、苦しいよ。
離して。
苦しい。


「っげほっ!・・ごほっ・・・!」


喉の奥から生ぬるい水が吐き出る。
反動で、ボクの目が微かに開いた。
誰かが見える。
誰・・・か・・・。


「大丈夫か?」


落ち着いた、綺麗な声。
僕はこの声を知っている。


「あし・・か・・わ・・・っ」
「三谷。この馬鹿」


いきなりの馬鹿呼ばわり。
相変わらずの尊大さ。
でも、なんで芦川がここに?
それ以前にここはどこ?
芦川はここで何をしてるの?


「崖から落ちて激流の川に落下。間抜けなハイランダーもいたもんだな」


呆れた声。でも、綺麗な声。


「あし・・かわ・・・ここは・・・どこ・・・?」


ボクはろくに身体も動かせなくて。
目に映るのは芦川の姿だけ。


「川のほとりだ」
「あ・・しか・・・わ・・が、助けて・・・くれた・・の?」


芦川は答えない。
ただ、強く静かな眼差しでボクを見ていた。
・・・苦しい。
そんなに見ないで欲しい。
呼吸が止まってしまいそう。


「・・ぁ・・・・っ」
「・・・まだ、水が残っているのか?」


芦川がボクに覆いかぶさる。
違う。芦川がボクを見てるから、苦しいのに。
芦川の唇がボクのと重なる。
ちゅ、と妙な音が立った。


「ん・・・ぅ・・・っ!?」


苦しい。
芦川の舌が、ボクの口の中を這いずってる。
頭の芯がくらくらしてきた。
ああ、駄目。駄目だよ芦川。離して。
変な感じがする。
やめて。離して。離せ。


「ぁ、んっ・・・っ」


ぬるりとして、吐き出したくなるような味が口の中に広がる。
舌が触れ合うたびにその味が増す。
嫌だ、気持ち悪い。
芦川、何をしているの?
こんなのは、人工呼吸じゃないだろ。


「・・・三谷」
「んんっ・・・!」


唇を何度も啄ばめられて、貪られた。
歯の裏側にミツルの舌が這って、口を閉じられない。
舌から、ビリビリと痺れる感覚が身体中に広がる。
熱い。身体の熱がどんどん上がっていく。


「芦川・・・っ、やめ・・・て・・・」


芦川はぼんやりとしていて、まるでフィルター越しのような目でボクを見ていた。
まるで温度の無い眼差し。
それが逆に狂気的なものに感じられて、ボクは息を詰まらせた。


「やめろよ!芦川っ!!」


泣き声染みた声が飛び出す。
ボクは、泣いてないのに。


「・・・ミツル」
「え?」
「ミツルだ」
「ミツ・・ル・・・?」
「そうだ」


噛み付くようにまた口付けられる。
唇が湿って、ボクとミツルの間で粘ついた水音が立った。
ミツルは口付けを止めると、前髪を垂らして顔を伏せた。
そのまま、ボクの心臓の上を強く吸う。


「やっ・・・・!」


今更になってやっと気がついた。
ボクは、服を身に着けてない。
脱いだ記憶も無いのに。


「ミツルっ、ボクの服・・・っ!」
「濡れたから乾かしておいた」


ミツルはそれだけ言うと、ボクの身体に舌を這わし出した。
身体に力が入らない。
それどころか、どんどん抜けていく。
それに合わせてミツルの舌が下がっていく。
待って、ミツル。
何をする気―――・・・・。


「・・・っア―――!!」



悲鳴。



今までボクが発した事の無い声が漏れた。
上擦って、恥ずかしい声。
ここ先は、どう言っていいのか分からない。
朦朧とした意識の中で残ったのは、音。



荒い呼吸。
粘着質な水の音。
弾いて叩く身体の音。
ミツルを呼ぶボクの声。
ボクを呼ぶミツルの声。




結局、ボクはミツルを追うことは出来なかった。
いつの間にかボクの意識はどこかに行っていて、ミツルは消えていた。
キ・キーマ達に起こされて目を覚ました時、ちゃんと乾いた服も着ていたけど。
身体の熱と痛みが強く残っていた。
心臓の上の紅い痕も、ミツルといた証拠になって。
あんな思いをしたのに、ミツルの心を知ることは出来なかった。

ミツルは、何がしたかったのだろう。
なんで、あんなことをしたのだろう。

ボクには分からない。









「ミツルは、覚えてないよね・・・」

静かに眠りに落ちたミツルの髪を撫でながら呟く。
キスをされたら、あの時の事を思い返してミツルを拒絶してしまうかもしれない。



それが、怖い。



ミツルは好き。
初めてあの廃ビルで会った時から、ずっと。
でも、キスはまだできない。
だから、もう少し待って欲しい。

「ミツル、待っててくれるよね?」


きっと追いつくから。


ワタルは心の中でそう誓い、氷の解けるような速さで瞳を閉じた。

















                                        fin.





























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