+追いかけよ逢う魔が時に+
建設途中のビルの名は、幽霊ビル。
その名にふさわしく、魔物がいそうなほど普段から薄暗いその場所。
カン、カン、カン、カン。
チタンが跳ね、軽い音を立てた。
しばらく乾いた音は続いたが、一際大きな音を立てて止まった。
おそらく階段を登りきったのだろう。
はぁ、と少年の吐く息がチタンの残した音の影で聞こえた。
ああ、厄介だ。
ミツルは物陰に隠れながら、少年を見た。
物陰からとはいえ、体格のいい少年はミツルから良く見えた。
少年は石岡という6年の男子。
何度かこのビルに来ては騒いだりしている、ミツルから見れば厄介な子ども。
「ここにはいないのかよっ!『幽霊』!!」
石岡の大声にミツルは反射的に耳を塞いだ。
誰が『幽霊』だよ、と眉を顰めて少年を忌々しげに見る。
今は夕方の薄暗い時、逢う魔が時とも言う。
ミツルは今、幽霊ビルにいた。
別に夕日に黄昏に来たわけではない、扉を開きに来たのだ。
幻界へと通じる、あの巨大な門を。
ビルに来て、さっさと門をくぐってしまえばよかったのだが思わぬ邪魔が入った。
扉に続く階段のさらに手前にあるチタンの階段を上がる寸前に、見つかってしまった。
見つかったといっても、そのほとんどは影で、僅かにミツルの姿が見えた程度だろう。
だが、もともとビルの中は暗い場所。
時間も時間だけにミツルは石岡から『幽霊』に見えたのだろう。
「『幽霊』!そこか!?」
ズンズンとミツルに向かって石岡が迫り来る。ミツルはゆっくり後ずさりしながら考えた。
このまま影から身を出して姿を見せてやってもいいが、後々めんどくさいことになりそうな気がする。
『幽霊』じゃないのか、とか言われて余計耳を塞ぎたくなるような声で怒鳴るだろう。
それぐらいなら、彼が去るまでどこかで身を隠せばいいか、と判断した。
そろそろと薄暗がりを伝うようにしてミツルは近づいてくる石岡と距離を取ろうとする。
「『幽霊』!どこだ、出てきやがれ!」
石岡は辺りのものを蹴り飛ばしながら、一直線に走り出す。
流石にミツルもその勢いに驚き、すぐに身を隠せそうなところを探した。
「っ仕方ないな・・・」
ミツルは僅かな壁と柱の間に身を潜めることにした。
斜めの太い鉄筋の柱とコンクリートの壁の間は縦も横もひどく狭く、影が深い。
ミツルはほぼホフク前進に近い格好で、硬い隙間に入った。
まるで駐車した車の下に隠れた猫のよう。
掌から肘、膝から爪先が床と擦れて黒だった服が白く汚れる。
「ふぅ・・・」
ほどなくして石岡がミツルの隠れている隙間の前にまで来た。
「どこだ、ちくしょお!」
ミツルはすっと目を閉じた。
目で見ずとも感覚で分かるほど、石岡の気配を近くで感じる。
すぐ傍で石岡の足音が聞こえる。
ドクン、とミツルの鼓動が跳ねた。同時に荒くなりそうな呼吸を必死に抑える。
見つかるかもしれないという緊迫感は自然とミツルの身体を強張らせた。
「(落ち着け・・・見つかったってその時は魔法を使えばいい・・・)」
ミツルは自分が本当に『幽霊』であるかのように、影に気配を隠す。
ミツルがより影に寄り添ったからか、石岡はばたばたとミツルの前からいなくなった。
しばらくして、ミツルが目を開く。
ビルのどこかで石岡が階段を下っていく音が響いた。
「フン・・・これじゃあまるで鬼ごっこだ・・・」
ミツルは隙間から這い出ると階段の方に向かう。
ちゃんと石岡がビルから出て行ったか確かめるため。
ミツルは階段の横から上半身を乗り出し、下の階を覗き込んだ。
その刹那、下にいた石岡と視線があった。
瞳にカチン、とワイングラスがぶつかり合うような感触。
たまたま石岡が振り返ったのだろう、『幽霊』の名残惜しさに。
「あ・・・・『幽霊』・・・?」
石岡からはミツルは逆光で顔は見えるはずも無いが、それが返って『幽霊』と見せた。
階段から身を乗り出していたせいでミツルの垂れた髪が映画に出てくる怨霊のようであり。
石岡の再び階段に向かって走り出した。
やっぱりいたな、『幽霊』!と大声で叫びながら。
ミツルは慌てて身を翻し、逃げれる場所を探す。
今からでは先程の隙間に入る時間は無い。
ダダダンッと階段を飛ばし飛ばしで駆け上がってくる石岡の足音が急き立てる。
「ああ!」
ミツルは怒りと呆れを込めた声を溜め息と共に吐き出すと、ミツルは適当に壁の陰に隠れた。
今度は見る角度を変えたらすぐに見つけられてしまう場所に潜む。
潜むミツルに足音が近づいた。
あと、4歩。石岡がミツルの潜む壁に近づく。
3歩。ミツルから手を伸ばせば触れれる位置まで石岡が来る。
2歩。ミツルの潜む壁を石岡が通り過ぎる。
1歩。石岡が完全にミツルに背後を見せる。
今だ。
ミツルは舌を噛みそうな勢いで呪文を唱えながら、右手で石岡のバンダナを剥ぎ取った。
バンダナを掴んだ手を引くと同時に逆の手で振り向いた石岡の目を遮る。
石岡が驚きの声をあげる前にミツルの呪文が発動した。
『今から階段を降りてこのビルを去れ、今日ビルに来たことも忘れろ』
ミツルの口から冷たい命令口調の言葉が紡がれる。
石岡がこくんと頷き、ふらふらした足取りでミツルから離れていく。
操り人形のように、何かに押されるように石岡はミツルの視界から消えていった。
「・・・ふぅ・・・」
ミツルは額を左手で抑える。
そのまま、背後の壁にどっと身体を預けた。
先程ミツルの使った魔法は、本来は魔法使いが移動すると気に使うもの。
力の弱い魔法使いが魔法で移動する時や、追われている場合に瞬間的に自分以外のものを混乱させる。
人間が特殊な光を当てられたときに起こす錯覚と同じもの。
ミツルはそれを応用して催眠術のような効果を生み出したのだ。
魔法使いならミツルの魔法に多少は対抗できたかもしれないが、ここは幻界ではない。
「余計な体力を使ったな・・・」
ミツルは額から手を外すと、右手に垂れ下がったバンダナを見た。
力尽くで奪われたバンダナはぐしゃりとして、ミツルの指と爪によりしわが刻まれている。
「返してやるか」
ミツルは窓からちらりと外を見た。
石岡ぼぅ・・・っとしながら歩いている。
『幽霊』と言って追い掛け回す、幸せなボーヤに、小さな不思議を。
ミツルは口の中で小さく呟いた後、バンダナを吐息に乗せて放った。
バンダナはゆるゆると夕闇の空を舞って、石岡の前に落ちる。
落ちた瞬間、石岡は弾かれたように正気を取り戻しきょろきょろと辺りを見回した。
「あ、あれ・・・何やってたんだっけ・・・?」
落ちている自分のバンダナを拾って、付けるめんどくさいのかそのままポケットにしまいこむ。
石岡はそのまま狐にでも化かされたような顔をして、ぶつぶつ言いながらビルから離れて行った。
ミツルはその顔にふっと小さく笑うと窓から離れ、階段に向かう。
その整った顔に、既に笑みは無い。
あるのは幻想の中で願いを求める、烈火のように燃えた瞳と呪文を舐める口のみ。
「・・・遊びは、終わりだ」
ギィィィと重たい扉の開く音がした。
fin.
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