+キミギライ+
青空の広がるのどかな昼下がり。
道をやや外れた木陰の下、長時間のバイクで疲れた身体をクロノアは昼寝で癒していた。
傍にいたガンツも手入れをしていた銃を置き、陽気に呑まれ瞳を閉じる。
うつらうつらとしかけ、薄ら開いた視界に入ったのは、クロノア。
ではなかった。
似ているけど違う者。
背恰好はよく似ているがその瞳は赤く肌は白い。
どういう素材のものかわからないが金色の長くはためくものを首に巻いている。
今までほんの数回ほどまみえたことがあるクロノアの夢であり心の一部の姿でもある。
哀しみの王、と呼ばれる者だった。
ガンツ自身彼を哀しみの王と呼ぶことはない。
適当にテメェ等、固定せずに呼ぶ。
「・・・・・・・何?」
まじまじと王を見つめていたガンツに呆れたような声が飛んでくる。
この世の終わりを告げるような単調な声。
「・・・なんでもねェけど。オレは寝るぜ?」
「・・・寝たければ、寝れば」
シャボン玉のように宙に浮いてガンツを眺める。
虚ろな瞳は何がしたいのか全然読み取ることができない。
またクロノアのことで小言を食らうのかと身構えたガンツは拍子抜けした。
「・・・テメェはどうする?」
「そうだね・・・きみの様子でも見てようか?」
かくりと小首を傾げる様はクロノアがたまに取る仕草に似ている。
だがクロノアがすれば愛嬌もあるように見えるが、彼がするとどこか気だるげだ。
「まぁ別に見ててもいいけどな」
「そう?じゃあ、そうしようか」
「…飽きてどっか行く時は一声かけろよ」
声をかければくるりと王が一回転する。
金色の首輪の尾がはためき、耳が靡く。
芸を売る女が舞うような、どこか妖艶な動作。
ガンツはぼんやりとそれを見ながら寝ようか寝まいかを考えた。
「さぁ、どうかな。勝手にどこかに行ってもそんなに困らないでしょう?」
「・・・バカ。困るから言ってるんだろーが」
「どうして?」
バカと言われたのが気に障ったのか、僅かに虚ろの目尻が吊り上がる。
「目ェ離した隙に何かあって殻に篭られたら困るからだ」
クロノアの心の一部である哀しみの権化はひどく傷つきやすい。
ガラスよりも尚脆く鋭い。
ぽろぽろと水晶の粒を瞳から零しながら真珠のような殻に閉じこもる。
ガンツにとってこれ以上ないほどの厄介な相手だ。
「・・・そんな事言って、“クロノア”がいなくなるのが怖いだけでしょ」
嘲るような、蔑むような。
当てつけのようなその言葉にガンツは多少、身を固くする。
恋心を侮蔑するような言葉だ。
けれどガンツはそのことに対して怒りは覚えなかった。
「・・・それがまったくねぇとは言わねぇぜ」
肯定の言葉に気を良くしたのか王は唇を三日月の形へと変えていく。
珍しい笑顔だが、愛くるしいとはかけ離れた笑い方だ。
クロノアがもしこんな笑い方をすれば、間違いなくガンツは卒倒している。
三日月の唇はもっと困ればいいんだ、と呟いた。
「僕はきみが嫌いだよ」
「嫌いでも構わねェけどな、勝手に離れちまうのも困るンだ」
嫌いという言葉をストレートに告げる。
クロノア本人からはあまりそれを告げられたことはない。
むしろ好きだと言われたことがあるぐらいで。
心一つ、とはいえその中で思うことはやはりそれぞれあるのだと、ガンツは変な所で分析した。
「じゃあいっそ鎖にでも繋いでみる?二度と離れられない様に」
「バカ野郎。それで誰が得するってんだ」
「さぁ?勿論そんな事される前にスフィアで僕がきみをやっつけるけどね」
スフィアというのは哀しみの王の攻撃形態のことだ。
彼を中心にした攻撃兼防御方法。
どうあっても彼は自分が痛まない場所へと逃げがちだ。
「…テメェに負けるかよ」
守備を取る彼にガンツが言い返す。
勝負事では負けない、そういうつもりだった。
「どうかな。クロノアに銃を向けるなんてきみに出来るの?」
「…クロノアに向けるわけじゃねェだろ」
「結局は同じ事だよ、この身体は僕のものであると同時にクロノアのものなんだから」
「めんどくせェな…。クロノアに何かする気はオレにはねェよ」
勝ち誇った顔の王は何か思案するように指を自らの唇に当てる。
まるで死刑囚の断罪方法でも考えているかのようだ。
「ふぅん・・・・」
「なんだよ」
「散々クロノアの心を掻き乱してる人が、よく言うよ」
憎々しげな口調はクロノアを思いやる心の裏返しだ。
王にとってガンツは幼いクロノアの軸を揺らす邪魔者でしかないのだろう。
「お互い様だ。それでテメェが何か困ることがあるのか?」
「・・・最近クロノアの中の“まどい”が強くなってるんだよ」
「まどい?」
「心が揺れてるって事。どうせきみが何か変な事を言ったんだ」
「変な事、か。オレん中もそうだろうけどな」
ガンツの心の中もクロノアによって揺れている。
今まで持たなかったものを持ち、生まれなかったものを芽生えさせた。
それ故に戸惑ったりしくじったりすることもある。
だが、悪い気はしなかった。
「クロノアの心をばらばらにしたら・・・本気で許さないからね」
王の金色の首巻きの切っ先がガンツに向けられる。
まるで鉄板のような硬質を示したそれに迫られ、目を細めた。
「オレにどうしろってンだか」
「それを僕に言わせるわけ?」
「・・・言えねェだろ。オレもテメェに対して何かできるわけじゃない」
「してほしくもないけどね。僕はクロノアを守れればそれでいい」
互いに共通する大事なもの。
外側から中側から守る決めた者同士、意地はある。
「守れれば、な」
「・・・何さ」
「最後にケリつけるのはクロノア自身だ」
心が受け入れるのも。
砕け散ってしまうのも。
全てはあの小さな黒い獣次第なのだ。
「テメェでも俺でもない。そうだろうが」
だからガンツと哀しみの王は平行線に存在する。
どちらかが彼を奪うということはない。
クロノアはどちらに対してもとても大切な想いを持っているのだ。
分かっているからこそ、王は新たに大切な想いを抱かせるようになったガンツが不愉快で堪らない。
「元はと言えばきみが勝手な感情をぶつけた事が原因じゃないか!」
吐き捨てるように王が叫ぶ。
その一瞬の気迫に周囲の風までざわついたような気がした。
忌々しそうにガンツを睨む王に、堂々と言い放つ。
「勝手な感情だが、オレのこれは言われて消せるほどヌルいモンじゃねェ」
あの小さな子を仲間として、大事な存在として愛していること。
王からすれば確かにそれは外からの偏見も混ざった勝手な感情だ。
だがクロノア自身はそれを受け入れ許してしまっている。
「(彼の感情なんて、そんなの僕の知った事じゃない!)」
彼の哀しみを受け取る存在である王が、それを理解できないはずがない。
ただ、クロノアの心がガンツによって変化するのがどうにも気に入らない。
月が海水を引かせていくように、自分まで侵食される気がする。
実際ガンツのせいでクロノアが哀しい思いをしたことだってあるのだ。
「きみなんか嫌いだ!」
『クロノア』という存在に、一番不可解な影響をもたらす彼が、怖い。
哀しみに感情に憎しみが混じってしまいそうで王は駆け出した。
殻に閉じ篭ってもこじ開けてきそうなガンツが急に恐ろしく感じる。
「待て!」
鋭い声が背中を撃つ。
「来ないで!きみの顔なんて見たくない!!」
「見なくていい!逃げるな!」
「うるさいうるさい!!」
王の首にある金の輪が戦慄いた。
それから伸びる2本の布状のものが王の視界を遮る。
耳を畳んで手で押さえて、恐ろしいものから身を守ろうと必死になった。
「オイ!?」
「嫌い、嫌いだ。ばらばらになるのは、嫌・・・!」
嫌いだ、嫌だとうわ言のように繰り返す王にガンツが駆け寄る。
ガンツ自身、哀しみの王を嫌っているわけではない。
彼とて愛しい者の心の一部。
大事に思えばこそすれ、悲しまれたり恐がられたり嫌いに思われるのは本意じゃない。
「テメェはクロノアじゃねェけどな!テメェが一人で勝手に悲しんだりしてると気に食わねぇんだよ!」
耳を閉じた王に精一杯叫ぶ。
届かせたい心は耳を塞いだまま、拒絶の言葉を吐いた。
「そんな事言って!きみは“僕等”を苦しませてばかりだ!苦しいよ・・・助けて、助けて・・・!!」
哀しい心の化身である王と、その他の心の集大成であり現実に生きるクロノア。
現実に生きるガンツに、哀しみの王の苦しさは、おそらく分からない。
ともかく落ち着かせようとガンツが王の肩を抱くと、激しい抵抗が返ってきた。
「っ離して!僕はきみなんか・・・きみなんか・・・っ!!」
「落ち着け。・・・なんかよくわかんねェけど・・・すまねェな」
「・・・僕はきみなんか嫌い、嫌い・・・大嫌い、でも、クロノアが・・・クロノアは・・・」
きみが、きみなんかのことが・・・。
泣き声が告げる。
王の意思はクロノアには上らないから、本人であるガンツにぶつけてしまう。
「嫌いでもどうでもいい。けどな、目の届く所にいやがれ」
泣いて、まるでその海に沈んでしまいそうな王は赤くなった眼尻でガンツを見上げた。
「テメェがクロノアの一部なのか何なのかよくわからねぇけどな、今はオレが話してるのはテメェのことだ」
ここまで自分の意思を話す心の存在を、ガンツはよくわからなくなっていた。
心なのに姿がある。心だけど意思がある。
例え哀しみの王がクロノアに造り出されたモノだとしても、ガンツは受け入れなければいけないと思った。
クロノアとは別の考えもあって、姿も声も違うけれど、憎めるはずもない存在。
「え……?」
加えて曲がりなりにも好きな人の心に嫌い嫌いと連呼されて。
ガンツがいかに分かっているとはいえ内心痛まないわけではない。
「今、目の届く所にいなきゃ困るのも、走ってわざわざ追っかけさせるのもテメェだからだ」
「・・・変なの。僕はきみが嫌いだって言ってるのに、どうしてそんなに構うの?」
恋しい者の心が泣いて去っていくのを見届けられるほど、冷めた恋はしていない。
王の問いに答えないままでいると、いつ解いたのか金色の布状のものが彼の背後に回っていた。
王はもう、泣いていない。
「・・・僕、もう今日は戻る。これ以上きみの顔を見ると頭がぐちゃぐちゃになりそうだから」
「こっちもぐちゃぐちゃだけどな。テメェがクロノアの一部なら、オレはテメェを好きなんだろうぜ」
彼の小さな肩から手を外してぶっきらぼうに言い放つ。
緩やかに王の身体が緊張から解けていく中、小さな笑い声が零れた。
「・・・僕はきみが嫌いだよ。でも好きって言ってくれるのは嬉しいから、一つだけ教えてあげる」
嫌いだけど、クロノアがガンツのことを好きだから自分も好きと言われて嬉しい。
そう納得させて王は静かにほほ笑んだ。
「僕はクロノアの一部だけど僕とクロノアは同じじゃない。だから僕がきみを嫌いでも、クロノアがどうかは別」
暗にクロノア自身が嫌っているわけじゃないという今更なフォローにガンツは渋面を見せる。
「・・・そーかよ。そりゃ、有難いこった」
「それだけは、忘れないで。忘れたらスフィアだからね」
「分かった分かった。忘れねェよ」
これ以上彼にどこかに行かれても困るが篭られても困る。
「じゃあクロノアを返してあげる。クロノアもここに帰りたがってる・・・から」
王の赤い瞳が閉ざされ、その身体がぐにゃりと外界と交差して歪む。
瞬く間に収まる歪みの中心には、立ったまま寝たようなクロノアの姿があった。
「・・・ガンツ?」
たった少しの間哀しみの王と話していただけなのに、金色の瞳が随分懐かしく思ってしまう。
ガンツはわさわさとクロノアの頭を撫でた。
「…やっと起きたか。こンの寝ボスケ」
「え?あれ?…もしかして、ボク…また?」
また、の続きにガンツが答ることは無い。
哀しみの王と会っていることも、話したことはほとんど無い。
それでいいと思っている。
哀しみの王とは気まぐれで出てきた時に、彼の意思で歩み寄って来て欲しい。
「オレが寝るぜっていう前に寝やがっただろ」
正確には寝ると告げたのは哀しみの王にだったが。
王が現れた時点で既にクロノアは夢の世界へと旅立っている。
「えー・・・。なんか最近急に眠くなる事が多いんだよね。体調不良なのかなぁ・・・」
「・・・オレのせいか?」
「へ?何で?」
「・・・いや。・・・クロノア」
「うん?」
小首を傾げてガンツを覗き込む。
くりんとして愛嬌のある幼顔が、あの王サマと大違いだとガンツを心の中で呟かせた。
「オレのことは好きか嫌いかで言うとどっちだ?」
「どうしたのさ、急に」
「今聞きてェんだよ」
「変なガンツ。勿論好きだよ、好き、大好き!」
じゃれるようにクロノアが抱きつく。
その肌の温度は先ほど肩を抱いた王の体温と同じ。
この小さな温もりが、愛しい。
「そーかよ。・・・オレが嫌いな時はちゃんと嫌いって言ってもいいんだからな」
「・・・本当にガンツどうかしたの?嫌いになんてなるわけないじゃん」
きょとんとした顔に薄く笑いつつ、帽子の上から頭を撫でてはぐらかす。
「オレの見てない所でお前がオレの事を嫌いになってないか心配になっただけだ」
高慢な台詞だ。
哀しみの王からしたらまた小言の一つに加えられる言葉になるだろう。
「・・・?変なのー」
「ま、いいや。嫌いじゃねェって分かったことだし」
「ボクの方はさっぱり分かんないけど・・・まぁ、いっか」
肩を竦めるクロノアにガンツは王の影を見ようとする。
だが警戒心ゼロで微笑むクロノアに、ただ別の危惧が生まれるだけだった。
「やっぱお前自体目の届くところにいねェと駄目だな・・・」
心も本体も、危なっかしくてしょうがない。
こんな気持ちも知らずに彼の中の王は嫌い、と拒絶するのだろう。
きみなんか嫌いだよ、と言ったその声は耳に残っている。
けれど。
「ガンツ、お腹空いたー!」
「じゃあ出発するか・・・って引っ張んな、メシは逃げねぇ!」
腕を掴んで引っ張るその小さな手が、クロノアでも彼だとしても離す事はできない。
fin.