+西日に寄す+



壁を蹴った音が高い天井に反響する。
体育館というより武道館のように造られているこの建物は広く大きい。
何十枚ものマットが敷かれ、その上を様々な人が生徒達が飛び回っていた。

「ヘイ!どうだい?」
「・・・レベルが低い」

どうだ、というのは目の前でもたもた回っている生徒のことだ。
そのあまりの運動能力の低さにリンクは溜息を盛大に漏らす。
もちろん今練習をしている生徒は皆普通の人よりずっと高い運動能力を持っている。
だが、当のリンクはそれを凌ぐ運動能力を誇ってこの学園に来たのだ。
いわゆる特待生というやつである。

「これでレベルが低い・・・ユーはイイ度胸してる」

体育委員長のソニックは失礼な言動にも介さず笑っている。
ソニック自身陸上部のキャプテンであり、今動き回っている生徒達とは違う部活である。
目の前でちょろちょろと飛んだり跳ねたりしているのはフリーランと呼ばれる不思議な運動だ。
狭い建物での細やかなランニングのことであり、強靭な筋肉や素早い判断力が必要になる。
これを部活動としている学園はここのみであり、それ故設備も整っているのだ。

「基礎は大事だが、皆動きが遅すぎる。さっきの・・走ってきたアンタの方が、ずっと早い・・・」
「ハハハ、フリーランも楽しいけど俺の一番は高速道路を走ることだからな!」

それは違法では?とリンクは怪訝な顔で見たがソニックはどこ吹く風。
捕まらなければどうということはない、というやつである。

「今はここのティーチャーも部長も外出中だからヘボく見えるだけかもしれないぜ?」

練習している生徒が聞いたら激怒しそうな言い回しだが、実際そうなのだから仕方がない。
フリーランの部員ではないソニックの方が練習中の彼らより何倍でも高く飛び、早く走れるのだ。

「そいつらは、別格なのか・・・?」

胡散臭げにソニックを問えば自信満々な顔で頷かれる。

「別格過ぎて、誰もついてこれないほどさ!」
「誰もって・・・アンタは別だろう・・・」

チッチッチ、と顔の前で指を振られ、思わずそれを目で追ってしまう。

「俺はフライよりラン専門だ」
「・・・ともかく、もうここはレベルが知れた。もういい」
「せっかちだな、部長にぐらい会ってこいよ!」
「今は外出中・・・なんだろう?」

つい先ほどそう言われたのだ。
辺りを見回しても別格の運動をしている生徒はいない。

「だからちょっと待ってようってことさ!」
「・・・俺は暇じゃないんだが・・・」

リンクがいくら溜息を吐こうともソニックは気にしない。
2人で空いている平均台を椅子代わりに座りこんだ。
体育館の熱気がちょうど外に逃げていく場所で、代わりに窓からの涼しい風が入り込む。
ダァン、ダァンと部活をする生徒達の跳ねる音を聞きながら、ソニックが呟いた。

「・・・さっきの話だけど、ユーは本気かい?」
「ほ、本気だ。俺は・・・あの男を見つけるまでは・・・」
「せっかく新しい世界に来たって言うのになぁー」


リンクは元は剣術の方で名を知らしめた生徒であった。
大会に出れば優勝の連続でもはや師範にすら勝つ腕前。
年上に相手にも臆することなく勝ち上がり、無敵の存在だった。

だが、越えられないものがあった。

それは自分より数年前に名を知らしめた伝説の人物。
皮肉にもそれはリンクと同じ名を持つ人であった。
彼を倒そうにも失踪して今では生きているのかすらわからない。
度々の比較や批評が煩わしくなってリンクはその世界を抜け出した。
だけど生来授かった肉体と鍛え上げた運動神経を捨てることはできずに、悶々とした日々を過ごしていた時。

『危ない!』

朝、横断歩道を渡ろうしていた時に鋭い声が耳に響いた。
ハッと顔を上げれば自分に車が迫ってきていた。
そういえばここの信号は歩車分離式になったばかりで、たまに間違えた車が白線から飛び出てるのを見たことがある。
ああ、動物が轢かれる時ってこんな心境なのかも、とスローモーションで思った瞬間。
何かが自分を抱きあげて迫ってくる自動車を『飛び越えた』のだ。

『え?』

ふわりと掬いあげられた感覚。
足の下を通る激しいブレーキ音が遠く聞こえる。

『大丈夫?』

声をする方を見上げれば青空を背景に自分を抱えた青年がいた。
緑色の瞳、狐色の髪、安堵した顔。
制服でどこの学生かはすぐ分かった。

短い浮遊を経て、2人で歩道に着地した。
信号無視した車はどこかに消えて、ざわざわと周囲の人はこちらを見ている。

『早く行って、騒ぎになっちゃうから』

トンと自分の背中を押して歩くよう促す。
そのまま茫然と2、3歩歩きだして振り返れば彼の空へと帰る背中が見えた。
壁を蹴って高く跳ねる姿を皆が見上げ、リンクのことなどまるで視界に入っていない。
そのことがリンクにとってなんだかとても悔しく、そして憧れた。
その後に助けてもらったお礼すら言えなかったとやっぱり悔しくなったのだ。



「フリーランをすれば、あの男に近づけるかと思ったんだ・・・」
「探してる男にねぇ・・・」

顔を伏せてしまったリンクを今度はソニックが怪訝な顔で見つめる。
初めてリンクに会った時に聞かされた男のこと。
正直、その時のリンクの口調はまるで夢物語を語るようで思い当らなかった。
今でこそ砕けて無愛想な口の聞き方だがその救ってくれた男のことを語る時だけは初心な女のようだ。
学園まで来たとあって熱烈なストーカーだとその時は思ってしまったが、その気持ちは何となく察することができた。
それから自分の頭を高速回転で巡らせて思い当ったのがここの部長だ。
容姿も彼が話したのと似通っている。
ただ。



ただ、ここの部長の昔の恋人の名が、今隣にいる彼と同じ名前だということだ。



エレベーター式のこの学校で、4年前に失踪した彼の人。
その時の部長(当時はフリーランの部長ではなく射撃術の方で有名だった)の落ち込みようは半端じゃなかった。
射撃術のトップの恋人は剣術のトップ。この事は有名にならないはずがなかった。
男同士だとか有名人同士だとかいうのは本人たちにとって大きな問題ではなかったらしい。
御似合いで幸せであったはずの彼らなのに何故かその片割れは失踪してしまった。
駆け落ちが失敗しただの、やはり女に走っただのよくわからない噂も流れた。
真相ははっきりとせず、彼もそのことについては口を貝にしている。
ただ分かっているのはそれ以来彼が銃を握らなくなってしまったということだけだった。

「(何かに挫折したんだ)」

ソニックは内心呟いた。
今横にいる彼も、銃を握らなくなった彼も。
手に入らない何かを補うために、我武者羅になっている。
ソニック自身は走ることに挫折したことはない。
音速と持て囃されるように、走らなければ自分ではない。
それは今も昔もこれからも曲げるわけにはいかないのだ。
それ故に、あの部長がまた不安定にならないかが心配でもあった。
運命の悪戯なのか、横にいる彼は名前所か容姿すら恋人だった人に似通っている。

「・・・まだ、帰ってこないのか?」

腕時計を見てリンクは口を尖らせる。
そろそろ体育館が閉まってしまう時間だ。
気付けば生徒達も後片付けを始めている。

「もうちょっとだって!」
「本当に来るの・・・・」

そこまで言いかけてリンクの言葉は途切れた。
目の前に突然、影が降りかかったからだ。
すぐさまその後に聞き覚えのある声が体育館に響き渡る。

「皆!遅れてごめん!!」
「部長遅いー、またウルフ先生に追いかけられてたんですかー?」

部員であろう男子学生が笑いながら声をかけた。

「そうなんだよ、俺は射撃術はもうしないって言ってるのにさぁ」

窓から飛び込んできたのだろう、だが息も切らさずそのまま喋ってている。

「フォックス、てめぇ!」
「うわぁっ!!」
「あ、ウルフ先生」

同じく窓から飛び込んだ教師は入り様フォックスに蹴りを入れようとした。
寸での所でフォックスはそれを避けて距離を取り、慌てて体制を整える。

「しつこいなぁ!」
「てめぇが折れねぇからだ!」

生徒と教師の間にしては大分規則から外れた口調でお互い壮絶な鬼ごっこを繰り返す。
目にも止まらぬ動き、まさしくその言葉が当てはまった。

「ヘイ!リンク、あれが部長と先生さ!ちなみにあの先生、前は射撃術のコーチでもあったんだぜ!」

相変わらずだ、とソニックは笑いながら彼らを指差している。
リンクはというと、突然のことにぽかんとした表情でいたが気を取り直し一直線にフォックスの元に走っていった。

「お前!」
「へ?あ、君・・・」
「あァ?」

突然の侵入者に2人は動きを止める。

「前に、お前に・・た、助けてもらった・・・奴だ・・・!」
「ああうん、覚えてるよ。危なかったね」

変な自己紹介なのにフォックスは笑いながら頷いた。
タン、と軽い音がしてソニックが近づいていたのに気づく。

「ヘイ、フォックス!こいつはリンク、新しい部員だ!」
「え、そうなのか?」

ソニックは前もって受け取っていたリンクの入部届にフリーラン部と書いてウルフに手渡す。
ウルフはそれを片目で一通り読んだ後、なぜか苦々しい表情を浮かべた。

「どうした、ウルフ?」
「・・・新入りだ、てめぇが面倒見ろ」
「顧問のくせにしょうがないなぁ。ま、いいや。俺はフォックス・マクラウドだ、よろしく」

さっと右手を出されてリンクは一瞬戸惑ったあと、その手を握る。
射撃術をしていたのは本当なのだろう、掌に特有の固いものが感じられた。

「・・・リンクだ。よろしく」
「ああ。・・・歓迎するよ」

ふと気付くとフォックスの表情が緩やかにだが変わっている。
刹那に幽霊を見たような、そんな表情。

「な、なんだ・・・?」
「あ、いやなんでもないよ。今日はもうお終いだから明日から一緒に練習しよう」

フォックスはリンクから手を離し他の生徒と一緒に掃除へと向かってしまった。
その背を見送りながらリンクはその場に立ち尽くす。
先ほどのフォックスの表情の意味が分からなかったからだ。

「おい、リンクっつったな」

呼ばれて振り返れば顧問の先生が不機嫌そうな顔で立っていた。
ソニックはいつの間にか帰ったのだろう、姿は見えない。

「顧問のウルフだ」
「・・・よろしくお願いします」

教師というより不良グループの元締めみたいな人だ、とリンクはその顔を見て思った。
凄みのある表情も、恰好いいが恐い印象を与えやすい。

「言っておくが部活内で問題は起こすんじゃねぇぜ」

窓から入ってきた教師がよく言うなと口にしないながらもリンクは首を縦に振った。
問題など起こさない。
自分はフォックスと関わるだけだ。

「今日はもう帰宅しろ。明日の部活は16時からだ」

リンクは短く返事をして体育館を後にする。
フォックスを待っていようかとも思ったがいきなりそれは失礼かもしれないと遠慮の念が先だった。
掃除をしている彼らを置いて体育館の重い扉を閉める。
外は西の夕焼けから暗い夜へ、一番星の引率に導かれていた。

「・・・明日からだ」

リンクの瞳は始まったばかりの新しい生活にきらきらと輝いている。
元気良く踏み出したその一歩が空を跨ぐ頃、自分の存在がどうなっているのか知りもしないままで。

















                               fin.




















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