+Taste+
深夜1時。
フォックスは一人、司令室の椅子に腰かけ眠っていた。
3日掛かりの任務が終わり、報酬やその他諸々の作業を終えた時はすでに0時を回っていた。
節約のため照明の電気を落としたせいか若干薄暗い部屋が夜の眠りを誘う。
少し休んだら部屋に戻ろう。
そう思いながら椅子に身体を預けて目を瞑ったのが0時30分。
それからフォックスの目が開かれることはなかった。
同時刻、深夜1時。
ファルコは自室のベッドにて、寝返りを繰り返していた。
どうにも寝付くことができず、呑んだ寝酒もあまり効果を発揮しない。
右にごろごろ、左にごろごろ。結局シーツが纏わりつくだけ。
瞳を閉じてもやってこない眠気に、とうとう身体を起こした。
上着を軽く羽織り、部屋を後にする。
どこに行くということもない。ここは宇宙なのだ。
艦内を歩いていればいずれ眠くなるかもしれないという思い付きで徘徊することにした。
じっとしているという選択肢は無い。
こつ、こつ、とつるつるした廊下と靴がぶつかって乾いた音が響く。
電気を点けていないせいか廊下の奥が見えず、洞窟でも歩いているかのようだ。
それでも普段自分が暮らしている艦内だけに、怖いということはない。
暗闇に呑まれるが如く、ずんずん進んでいく。
ぐるりと角を回った所で非常灯以外の光を見つけた。
「誰かいるのか?」
少しペースを上げて歩く。
点けっぱなしなら消さなくては電気代がもったいない。
フォックスのせいで節約癖がついたことに、我ながら苦笑ものだと溜息を吐いた。
司令室のドアを開いて中を覗けば、眠りこけたリーダーを見つける。
「フォッ・・・」
傍まで寄ってみれば、随分幸せそうな顔で眠っていた。
起こそうと思って出した手も声も思わずひっこんでしまう。
子犬みたいに鼻を鳴らして、唇を薄く開いて。
起こすに起こせず、だがこのままでは翌日が辛いだろうと思い、うろうろと視線が彷徨う。
本当に花でも咲きそうなほどすぴょすぴょと気持ちよさそうに眠っているのだ。
起きている時ですらこんな穏やかな顔をしていることは珍しい。
希少だと思えば思うほど、手が出せなくなる。
「フォックス」
そっと呼びかけて見るが応答ナシ。
どうしたものかとかりかりと頭を掻いた瞬間、ぽそっとフォックスが呟いた。
「とう、さん・・・」
すっと自分の中で血の気が引くのが分かった。
そしてすぐに頭に昇り返ってくる。
「・・・まーた親父さんかよ」
いつまでもいつまで経ってもこいつの中にいる父親。
まるで死神みたいにフォックスの記憶の中で笑っているんだろう。
「今、傍で守ってやれんのは俺なんだぜ」
いないのに望む。
いないから望む。
パイロットとしての腕以外でフォックスが自分を必要としてくれたら、もっと堂々として入れただろうか。
フォックスの最期を、こいつの親父が攫っていくかもしれないという訳の分からない不安を打ち消すことができただろうか。
かといってフォックスの最期を見る勇気があるかと問われれば、それは、否。
それこそ自分が一番望まないことだ。
「俺が先だ、フォックス」
柔らかな耳に触れる。
蛍光灯の明かりですら反射する艶やかな毛並み。
指をずらしてフォックスの片目にある薄緑色のバイザーに触れた。
この奥にはもっと吸い込まれるように深い緑が存在する。
バイザーを割って、その破片でさらに奥の緑を取り出せば、もっと・・・。
はっと我を取り戻す。
寝ぼけたのか、一瞬とはいえ随分馬鹿な事を考えてしまった。
「ん・・・ファルコ・・・?」
「お、起きたか?」
「あぁ・・・、・・・ところでこの状況は何?」
フォックスが訊くのは当然だ。
眠っている間に顔を掴まれ、その上覗きこまれていたのだから。
「いや・・・寝てたから落書きでもしてやろうかと」
「起こせよ!もう・・・」
「フォックスがあんまりにも馬鹿っ面で寝てたからな」
ちゃかした言い訳で逃れる。
リーダー暗殺未遂なんて、笑えない。
「・・・ファルコ、なーんか物騒なこと考えてない?」
フォックスの見抜くような声に一瞬心臓が大きく跳ねた。
「馬鹿、何だよ物騒って・・・」
エメラルドの視線が痛くなってフォックスの椅子の後ろへと回り込む。
気付くはずがない、分かるはずがないのにバレるかもしれないという焦りが心を責めた。
「俺の背後を取ってどうする気だ?」
悠々と王様のように問うフォックスに言葉を失う。
どうする、など。
気分はまるで、尋問に掛けられた犯人のようだ。
行き場を失った両手が彷徨い、椅子の背もたれごと抱えるようにしてフォックスの首へと行きつく。
「俺の命、取る気?」
「取れるかよ」
くすくすとフォックスが笑う。
発声の度に揺れる喉が掌を押し返した。
こちらはというと、からからの喉を振り絞って平素と変わらない声を作る。
このフォックスはいつもと同じ、言葉遊びを楽しんでいるだけだ。
だが自分はと言えば、手が震えるのを押さえつけて、フォックスの首に触れている。
「・・・俺を殺したら80年ローンだぞ」
鈴を鳴らしたように狐が笑う。
殺せるわけがない、お前は、俺より、後に。
「・・・なんだ、金か?」
「いや、俺のことを80年忘れないでいてもらう」
事も無げに吐かれた言葉に戦慄を覚えた。
放送の終わったテレビのように、頭にノイズが走る。
「・・・80年もてめぇのことばっか考えてられるか」
「忘れて欲しくないだけだって」
「80年後なんざボケて忘れてんだろ」
「ひどいな」
ひどいのはどちらだ。
80年も命懸けの想いを続けろなどと。
どこまでも尊大で寛大で、愛しい。
「フォックス」
「何?」
「俺が死んだらすぐ忘れろ」
がぶ。
鋭い痛みが走って思わずフォックスの首から手を放した。
どうやらこちらの言い分が気に入らなかったらしい。
「噛み癖があんのか、うちのリーダーは」
「ファルコはまずいなー」
舌を出して手羽先なのにまずい、と笑いながらからかってくる。
「じゃあフォックスは美味いのかよ?」
言いながら彼の前に回り込んで、フォックスの顔の横に手を付き顔を寄せた。
深緑に自分の姿が映る。
「さぁ、な」
分かっていない、気付いていないと嘘の仮面を付けるフォックスを咎めることはしない。
代わりにその弧を描く唇を奪う。
ごり、とバイザーが小さく音を立ててぶつかった。
それでも、舌を吸うのはやめない。
「んっ・・・んー・・・」
ぐっぐっとフォックスの腕が胸を押し返した。
離れた唇から零れるフォックスの吐息が自然と色っぽく見える。
「美味い?」
目を細めた彼が感想を言えと言わんばかりに見詰めてきた。
「不味くはねぇが・・・」
「何だよ」
不満そうに口を尖らせる。
曖昧な言葉の続きを促すように、腕を組んだ。
偉そうなくせに、どこか可愛く見えてしまうのが盲目というものなのだろうか。
フォックスの唇を食んだ感触を残したままの自分の唇を拭い、答える。
レモンの味なんて最初からしない。
「物足りねぇな」
「・・・物足りない、なんて」
腰かけたままのフォックスの足の間に膝を割りこませ、乗りかかった。
自分の影がフォックスを覆う。
「そういうのは、よくわからないから」
すっぽりとこちらの腕の中に収まる細い身体。
たった一言で済むことを易々と言うことはなく、わからないという言葉で意味を変えて置き去りにした。
当の本人のフォックスはいつだって化かしてはぐらかして水面を歩くように去っていく。
何をしても何を言っても誰にも捉まらないとでも言いたげに。
「教えてくれ・・・何が物足りない?」
もっと直接求めてくれたら良いものを。
互いの指が自然と絡まる。
「隠し味とか、な」
触れ合う胸の、脈の拍動と拍動の刹那に紛れ込む哀愁。
甘酸っぱいそれこそ、望むものではないけれど。
フォックスの腕が自分の背中に回り、そのすぐ後に濡れた音ひとつ。
レモンよりも甘美な味が重なり合う舌の上に広がった。
fin.