+乾いた唇+



夕暮れの空を一隻の船が泳ぐ。
船はゆるやかに三日月島に向かって飛んでいた。
そんな船の最上部に、暇そうに望遠鏡を覗く男が居た。

「発見物・・・なーいなー・・・」

浪費が趣味という男、ドミンゴである。
見張り台から全方位を見渡せる位置に常にいる彼は、退屈していた。

「なーんかおもしろい事、ないもんかなー」

望遠鏡を目から離し、ドミンゴは真上を見上げる。
そこには相変わらず月に照らされた空があるだけ。

「ヴァイスちゃんでも遊びに来ないかなー」

船長を『ちゃん』付けで呼ぶとは大胆不敵もいいところ。
だが、当のヴァイスが突っ込まないのでそのまま『ちゃん』付けで呼んでいるのだ。
おそらく、ドミンゴよりヴァイスの方が若いせいもあるだろう。
先輩なのにクルー、自分より随分幼いのにキャプテン。
お互い突っ込まないので、お互いこのままなのである。

「・・・あ、唇乾いてるや」

何気なしに触った唇に僅かなささくれ。
ドミンゴは懐から棒状の形をした軟膏を取り出す。
それのフタを取ろうとして、ピタリと手が止まった。
ドミンゴの耳に、カンカンと長いハシゴを上ってくる音が聞こえる。




どうやら暇つぶしの玩具が来たようだ。




「ドミンゴ、いるか?」

船内に繋がるはしごから、ひょっこりとヴァイスが顔を覗かせた。
三日月島に帰る航路なので、舵はロレンスに任せてきたのだろう。

「いらっしゃい、ヴァイスちゃん」
「ああ・・・何か変わったことはないか?」
「ぜーんぜん。何にも無いぜ」
「そっか・・・」

不意に、吹く風と夕焼けがヴァイスの髪を燃え上がらせた。
髪と瞳は赤に染まり、眩しく光を反射する。
反対にドミンゴは逆光で、ヴァイス側からでは表情も上手く見えない。

「そーいえば、ヴァイスちゃんは何かおにーさんに用があるのかな?」
「あ、いや。ドミンゴに直接的な用はないんだけど」

ぴく、とドミンゴの眉間にシワが入る。
ヴァイスには分からないぐらいの、小さな小さなシワ。

「じゃあ、何をしに?」

逆光で見えないにも拘らず、ドミンゴは笑顔を作ってヴァイスに問いかける。
ヴァイスは答えないまま、ドミンゴの横を通り越し縁に手を掛けた。

「ちょっと、夕日を見に・・・」
「ハイハイ、嘘はいけないよーヴァイスちゃん」

ヴァイスは驚いてドミンゴを見る。
今度はヴァイスが逆光に晒された。

「ヴァイスちゃんの顔、夕日を見にきたーって感じじゃないぜ」
「う・・・・」
「何か悩んでるんだろ、おにーさんに白状してみな」

ドミンゴは挑発するように指でヴァイスを招く。
ヴァイスは肩を落とすと、そのまま縁を背もたれにして座り込んだ。

「久々に三日月島に帰るからな・・・それでちょっと・・・」
「1人になるところが欲しかった・・・って所?」
「・・・まぁ・・・うん・・・」

ほぼ図星なことを言い当てられ、ヴァイスは素直に頷いた。

「でも1人で悩んでもストレスが溜まるだけってこと、知ってる?」
「・・・う・・でも相談とか・・・」
「・・・ギルダー船長じゃなきゃ駄目?」
「・・・っな、何言ってんだよ!」

完全に図星を突かれ、ヴァイスは慌てて否定する。
ドミンゴはその様子を、けらけらと笑いながら見ていた。

「へー、ヴァイスちゃんはそんなにギルダー船長の事が好きなんだー」
「だから違うって・・・!」

真っ赤になっても違うと言い張るヴァイスを可愛いと思いながら、ドミンゴは挑発を続ける。

「でも、ギルダー船長が好きなのは本当だろう?」
「・・・そ、尊敬はしてる。強いし、知識も豊富だし、経験も豊かだ」
「でもってヴァイスちゃんより背が高い」
「ふ、普通190センチも無いだろ!」
「まーね。でも、ヴァイスちゃんにとっては憧れだろう?」
「う・・・まぁ・・・少し・・・」

悩むようにヴァイスは顎に手を当てた。
不意に指が唇に触れる。

「あ・・・唇乾いてる・・・」
「あれ、ヴァイスちゃんも?まぁ、ここ結構高度があるからねー」
「ドミンゴもなのか?」
「俺はずっとここにいるから・・・あ、軟膏使う?」

ドミンゴはヴァイスに向かって先程の軟膏を放った。
ヴァイスはわたわたしながらそれを受け取る。

「わ・・・っと、ありがとう」

ヴァイスはフタを取って、あ、と手を止めた。

「この軟膏、残り少ないぞ?ドミンゴも唇乾いてんだろ」
「・・・いーよ、ヴァイスちゃん使いな」
「俺が使ったらなくなりそうなんだけど」
「ま、いーからいーから」
「じゃあ・・・使わせてもらうぜ」

ヴァイスは軟膏の先端でゆっくりと唇をなぞる。
油っぽい軟膏は、ヴァイスの唇で艶やかに光った。

「塗った?ヴァイスちゃん」
「ああ。でもこれ空になっ・・・」

ふっとヴァイスの前でドミンゴは立ち止まる。
ドミンゴはゴミでも拾うかの様に身をかがめると、そのままヴァイスの口付けた。

「・・・・・・・・・・・・・・ぅんっ!?」
「ハイ、これでおにーさんも軟膏塗れた」

にやりと笑うドミンゴに、ヴァイスは一気に顔の熱が上がった。
ぼっと火が点いた様に真っ赤になり、ぱくぱくと口を開閉させる。

「な・・・なに・・・」

ヴァイスはは慌てて口を拭こうとするが、それはドミンゴに阻止される。

「擦っちゃダメだぜ。せっかく塗ったのに落ちちゃうだろ?」

脱力した様に手を下ろすヴァイスに、ドミンゴはいい子、いい子、と頭を撫でた。
こうされると目線はヴァイスと同じにしているのに、やはりドミンゴの方が大きな気がする。

「ん?どーしたヴァイスちゃん?」
「な、なんでもないっ・・・!」

ヴァイスは逃げる様にドミンゴから距離を取った。
どうも、ドミンゴといるとリズムが狂う。
確かに『頼れるおにーさん』でもあるのだが、時折、垣間見る顔は『危ないおにーさん』なのだ。

「ヴァイスちゃん、そろそろ舵取りに戻ったほうがいいんじゃないのかな?」
「え・・・」

ヴァイスが首をかしげた瞬間、パイプラインからアイカの声が大音量で響いた。

『ヴァイスー!?どこで居眠りしてんの!早く帰ってきなさいよーっ!』
「うわわっ・・・わ、悪い、今すぐ帰る!」

ヴァイスは慌ててはしごに駆け寄り、急いで降り出す。
ドミンゴは楽しそうに望遠鏡越しでその様子を見ていた。
ヴァイスが長いはしごを降り、残り7段という所で不意にドミンゴの声が落ちてきた。

「ヴァーイスちゃーん、キスで足りなかったらもっと色々シテあげるよー」

ヴァイスはこの直後、はしごから落下した。
尻餅をついたようだが、別段大きな怪我は無かったらしい。
下でヴァイスは何かを叫んだが、ドミンゴは笑ってそれを聞き流す。

「あ、三日月島はっけーん」

島に帰って何をしようか、ドミンゴは新しい暇つぶしを考え始めた。








                                     fin.






























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