+誰も知らない空+
吸いこまれそうな青空の下。
彼の口から零れたのは残酷なものだった。
宇宙アカデミーの教室。
帰りの号令の後、さっさと後ろのドアから出ていくビルに、フォックスは溜息を吐いた。
お互い口を利かなくなってから、早2日。
もう視線すら、合わせていない。
「なんなんだよ、もぅ・・・」
事の発端は2日前。朝から天気の良い日だった。
空に油絵のように濃厚な青が広がっていたから、久々に屋上で昼食を取った。
メンバーはビルとスリッピーとフォックスの3人。
その昼食の後からだ。ビルの機嫌が急に悪くなった。
スリッピーもいたけど、多分地雷を踏んだのはフォックス。
スリッピーが何かしたのならビルはすぐに口を出すだろう。
フォックスに対してだけ、言いにくそうな顔をして押し黙ることがある。
言いたいことをはっきり言ってくれない時がある。
「俺が何したって言うんだ・・・」
ぼすっと深緑色のカバンに顔を埋める。
頭から突っ込んだせいで耳がつぶされたけど気にしない。
喧嘩したって親友だから、もう少し時間をかけたら何気なく挨拶して何事もなかったかのようにできる。
でもビルの機嫌なんかいつ直るかわからない。
こうして理由もわからず距離を取られている、この時間が嫌だ。
謝るから、何したかわからないけどもうしないから、無視しないで、と思う。
「フォックス〜大丈夫?」
「ん〜・・・スリッピー・・・」
ちょいと目を上げれば鞄の向こうからスリッピーがこちらを覗き込んでいた。
「まだ喧嘩中なの?」
「そう。・・・俺なんかヤバイこと言ったっけ?」
「オイラに言われても・・・」
「あの日のご飯の後からなんだよ。ビルの機嫌が悪いの」
一人で先に階段降りちゃって、教室に戻ればそっけなくシカト開始状態。
一緒に帰ろうと誘っても、用があるからの一蹴り。
嘘が見え見えなほどに冷たかった。
「でもビルなんだし、その内機嫌も直るって!」
「そうだといいんだけど・・・」
確かにたまに冗談でお前とは絶交だ!とか言うけど。
それが本当にあった例はない。
でももし本当にそんなことになったら。
フォックスは再びカバンへと顔を埋めた。
「本当に・・・何したんだろ、俺・・・」
「別に変なことは言ってなかったよ?」
「うん・・・でも多分・・・きっと、傷付けちゃったんだよ」
はぁぁ、と頭を抱えるフォックスの頭を、スリッピーはぽんぽんと軽く叩いた。
「スリッピー?」
「どうしても気になるんだったら、ちゃんと話に行った方がいいよ〜」
能天気な声。
でもそんな声だから、張りつめた思いがちょっと和らぐ。
「それともオイラが聞いてこよっか?」
「・・・ううん、俺が自分から話に行くよ。今から追いかけてくる」
ガタっと勢いよく立ち上がって背筋をしゃんとさせる。
まだ何も終わっていないのだからしっかりしないと。
「そう、じゃあがんばってね!」
「ああ。またな、スリッピー」
「バイバイ、フォックス〜!」
お互いに片手を上げて教室を後にする。
少し歩き出したその時だ。
背中にスリッピーの声が飛んできた。
「フォックス!もしビルにいじめられたらオイラがたたじゃおかないよって言ってね!!」
手でメガホンを作りながらスリッピーが叫ぶ。
だが実際スリッピーがビルに何かしたら、たたで済まないのはスリッピーの方だと思うが・・・。
「ありがと!その時はこてんぱんにしちゃってな!!」
フォックスはこてんぱんには無理だと分かっていながら、笑って手を振った。
そのまま下駄箱へと駆けて行って、ふとビルの靴箱を見る。
下履きは残されていたまま。
「まだ帰ってない・・・?」
フォックスは床に落とした自分の下履きを拾い靴箱に戻すと勢いよく走りだした。
行先はビルがいるかもしれないところ。
これで職員室やお手洗いに行ってたなんてことだったら笑い話だけど。
廊下を曲がって階段を上がって上って上がって。重い扉を体当たりするように開けた。
目の前に広がるは、午後5時の真っ赤な夕焼け。
それに包まれるようにして立っている、親友。
フォックスが勢いよく扉を開けたせいか、驚いたようにこちらを見ている。
バイザーをしていても、表情ぐらい読める。毎日一緒にいるんだから。
「はぁっ・・・はぁ・・っ・・・ビルっ!」
「フォックス?」
やはり驚いたのだろう、きょとんとした顔でフォックスの傍に寄ってくる。
フォックスはというと、肩でしている息を必死に整えているところだった。
「どうしたんだ、一体――」
「それはっこっちのセリフ・・・っ!」
はーっと大きく息を吐き、ビルを見上げる。
「ビルさ、その・・・一昨日から何、怒ってるんだ?」
ビルは一瞬押し黙った後、
「俺は別に怒ってなんかないけど」
と本気で知らないような顔をした。
その様子にフォックスの方が拍子抜けしてしまう。
「え、だ、だって最近口利いてくれなかったじゃないか!」
「あー・・・それは、まぁ」
「ほぅらやっぱり怒ってたんじゃないか!」
「そうじゃなくて・・・ちょっと、情緒不安定で機嫌悪かったから」
困ったように顔ごと視線を逸らすビルに、フォックスの方がぷんすかと文句を言い立てた。
「もう!じゃあなんで機嫌悪くなったんだよ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・黙秘権こ・・・」
「黙秘権行使禁止!」
ビルが言い切る前にフォックスが一刀両断する。
生真面目な性格はこういう時にきっちり裏を出させてしまう。
譲らないダークグリーンの瞳に、ビルはとうとう観念して溜息を吐いた。
「・・・前に3人で昼食べただろう、その時、な」
「うん」
「お前が、誰も知らない空に飛びたいって言ってただろ」
「え、ああ・・・うん」
「それがちょっと・・・カンに触ったというか」
何気ない言葉だった。
でも残酷な言葉だった。
『誰も知らない空へ飛びたい』
あの言葉が、耳から離れなかった。
「それで、不機嫌だったのか?」
怪訝な顔をして見つめるフォックスに、ビルはようやくふっと笑った。
「なぁフォックス。誰も知らない空へ飛びたいなんて、言わないでくれ」
笑いながらのお願い。
自分もいない空に行きたがるフォックスの言葉は、自分の横から離れたいように聞こえて。
勘違いだとか、誤解だとか、勝手な理屈で機嫌を損ねているのは自分でも分かっている。
フォックスがそんな意味を込めて言ったわけじゃないとしても。
それでも、悪寒が走るほどに恐ろしかった。
「分かった。もう言わないよ」
理由が分かったせいか、フォックスは安心したように笑う。
でもいつかは、本当にその空へ行ってしまうのだろう。
俺も知らないその空へ。
失った父親を追って、たった一人になって。
誰も知らない、誰もいない、自分だけの孤独の空に。
せめて、自分の空にはフォックスがいて欲しい。
ずっと傍にいることができないから、せめてもの束縛。
高慢で心を許せる存在をずっと傍に置きたがる勝手な理由だと分かっていても。
その激情を止められないのが、この心の底に蟠るフォックスへの想いなのだろう。
「・・・好き、なんだから」
「え?」
ビルの口から思っていたことがうっかり零れる。
小声ならまだしも、割とはっきりした声で。
「ビル?何が好きなの?」
「いや・・・フォックスは空が好きだから、俺が言ったっていつか勝手に知らない所に行くだろうって」
「行かないってば。人をそんな迷子みたいに言わないでくれよ」
「どうかなーこーの狐はー」
「ちっくしょー、じゃあ俺がどっか行ったらビルが探しに来いよなっ!」
フォックスが人差し指でビルのバイザーをつんと額の上まで押し上げる。
最近で久々に見る、ビルの素顔。
本人がトラウマがってるからなかなかバイザーを外さない。
結構かっこいいと思うのに、とはフォックスの心の声だけ。
「・・・ああ、そうするよ」
赤い空一番星の下、ビルはとても嬉しそうな顔で笑った。
ああやっぱり、かっこいい。
薄暗くなってしまった夕暮れ道を2人の影が歩く。
ぽんぽんと耳としっぽが跳ねている影がフォックス。
こつこつと、だが跳ねる影に寄り添うようしてに歩いているのがビルの影。
「あ、そうだ。メール出しとかないと」
「・・・誰に?」
「スリッピー。ビルが俺をいじめたらただじゃおかないって言ってたから」
「ただじゃおかないって、何する気なんだ?」
「さぁ?俺はこてんぱんにしてって頼んじゃったけど」
「・・・こてんぱんに・・・。俺はそんなに弱くないぞ」
呆れた顔をするビルに、フォックスがへらっと笑い返す。
「うん。だからもしビルがスリッピーに反撃したら俺も一緒に入ろうかと思って」
「2対1?」
「ビル強いじゃん」
「・・・それ、まさか最終的に殴り合いで仲直りしようと思ってたのか?」
「男なら拳で語るってやつ?」
フォックスがぎゅっと右手を握る。
それはまだ子どもの手。大人というには柔らかい拳だ。
「まったく・・・じゃあスリッピーは四の字固め、フォックスはコブラツイストな」
「固め技決定!?」
「じゃないとフォックス素早いし」
話す傍らフォックスがメールを打つ。
宛先はもちろんスリッピー。
件名は『大丈夫』。内容に『仲直りできた!』の一言だけつけて。
「送ったか?」
「うん、オッケー。ビルが四の字固めするって送っといた」
「お前な・・・それはお前らが何かしてきたらってだけだ」
「えー、でもビルの技って痛そうだしさ」
じとっとしたを顔するビルにフォックスが囃すように笑う。
「大体ビルって服着てたらわかんないけどけっこうゴツ・・・あ、イタイ!耳は引張らないでっ!」
「あーもう、そろそろ口にマジックテープしろ」
「もービルのマッチョマン・・・・・・・わーごめん嘘です嘘ーっ!」
フォックスを追いかけるビルに、わあわあと周りを逃げ回るフォックス。
地上の内では、こうやって手が届く距離をつかず触れずで走り回るのだ。
「フォックス、お前とは絶交だーっ!!」
走り回った後の少し荒い息でビルが叫ぶ。
結局追いかけっこはフォックスの逃げ切りで終了した。
2m先のフォックスも軽く肩で息をしながら楽しそうな笑みを浮かべる。
「でも、変わらないんだろ!ビル!!」
同じぐらいの声で叫びながら、フォックスは真っ正面からビルに飛び付く。
2つの影が、ほんの少しの間、1つに重なった。
fin.